悠仁さま18歳に 40年ぶり皇族の「成年式」で浮かび上がる皇位の行方
皇太子と皇嗣の差って何?
今上天皇は1991年に満31歳で立太子の礼に臨まれているが、あくまでも形式的な儀礼に過ぎない。2019年5月1日に皇嗣となった秋篠宮さまは、新型コロナウイルス感染症の状況を見極めつつ、立皇嗣の礼を2020年に挙行されているが、これも同様だ。皇太子は歴史上、必ずしも息子を意味するわけではなく、日本古来の文化であり皇室の伝統でもある家父長制度上、天皇の「父権」に基づいて後継者を「子」と表現していた。だが、秋篠宮さまの儀式が「立皇嗣の礼」という名称になったのは、秋篠宮さまが今上天皇の息子ではなく弟であることで「皇太子」の呼称に強い違和感を覚え、皇嗣となられたためという。
立太子の礼が形骸化したことで明治以降、成年式が即位への道筋を明確化するために重要性を増していた側面もあった。皇太子ら即位予定者は、旧皇室典範を慣習として18歳で成年式を行い、その他の皇族は民間人と同様に20歳で成人式(成年式)を行うというすみ分けになったからだ。だが民法の改正でその線引きはなくなった。
過去に8人10代(2人が2度ずつ即位しているため)存在した女性天皇の是非は、女性天皇の血のみを受け継いだ女系天皇の誕生に直結するとして、忌避する保守派の反発でペンディング(保留)となっているが、女性皇族の婚姻と皇族の高齢化により、喫緊の課題となっている皇族減少問題を解消するため、女性皇族に婚姻後も皇室に残っていただく制度を実現させるための議論が今年は本格化するはずだった。しかし、通常国会では自民党旧安倍派の裏金事件もあり、議論は全く深化しなかった。
その結果、規定路線通りに悠仁さまが即位することが保証されない状態が続くことになった。愛子天皇誕生を望むリベラル派の人々も、モヤモヤしている状況だ。終戦後の昭和22年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の方針で皇籍を離れた旧11宮家について、5月に始まった衆参両院議長と与野党各党代表者らによる協議で自民党は、「皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする」案を妥当とした上で、「皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする」案を「それでも皇族数が確保できなかった場合の方策」と位置付けるべきと踏み込んだ。維新は既に旧宮家の男系男子の養子縁組による皇籍復帰案支持を表明していたため、保守派の意見は事実上集約された。
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