悠仁さま18歳に 40年ぶり皇族の「成年式」で浮かび上がる皇位の行方

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 9月に18歳の誕生日を迎えられる秋篠宮家の長男・悠仁さまの「成年式」は高校卒業を待って、来年の3月以降に行われる。西村泰彦宮内庁長官は7月の会見で、

「(各種行事は)皇室の重要儀式である、成年式を終えられた後に参列される」

 と明かしたが、このまま皇室制度に一切の変更がなければ、即位が予定される悠仁さまが今後臨まれるのは、空席となっている皇太子を決める「立太子の礼」か、「立皇嗣の礼」か。それとも秋篠宮さまの即位辞退が現実となり、いずれにも臨まれずに即位されるのか。そもそも、悠仁さまの即位(それは、小室圭さんが「天皇の義理の兄」となる日が来る事を意味する)は本当に実現するのか――皇位の行方を占ってみた。

 皇族の成年式は1985年の秋篠宮さま以来、悠仁さまが40年ぶり。秋篠宮さまは20歳の誕生日に式へ臨まれた。現在は民法改正により、2022年4月に成年(成人)の年齢が20歳から18歳に引き下げられているが、20歳というのは明治時代の1896年に民法で決められた成人年齢である。それまでは奈良時代からの風習により、男子が成人になったことを示す「元服」が15~17歳頃に行われていた。

 日本で成人の儀礼として冠礼(中国の元服)が行われるようになった事実を確認できる最古の例は、奈良時代の714年にあった首(おびと)皇子、後の聖武天皇である。『続日本紀』には、頭に冠を被せる儀式だった冠礼が「元服を加える」との表現で記述されている。清和天皇が864年の元日に、やや早い15歳で元服を迎えたことも史実として裏付けられている。

18歳という境界線が持つ意味

 他方、1889年制定の旧皇室典範で、皇太子は18歳で成年を迎えると規定されたことから、明治天皇は68年に16歳で元服を迎えたものの、大正天皇は97年に18歳で成年の祝賀を受けた(式は喪中のため見送り)。昭和天皇は1919年に18歳で成年式を行い、上皇陛下も18歳で成年式をされた。

 このように、男性皇族でも皇太子(皇嗣)は20歳ではなく18歳で成年式を行う決まりが踏襲されたため、天皇陛下も18歳で成年式に臨まれたというわけだ。

 一方、立太子の礼は平安王朝の通過儀礼では最も重要で,為政者である帝王・皇帝としての統治権を有す資格を付与されるという点からも、重大な意義を持っていた。奈良時代には天皇によって皇太子が指名されており、平安時代前期の『貞観儀式』で「立皇太子儀」と定められ、確立された。当時は天皇が複数の候補者の中から、自身の後継者となる皇太子を決定していたため、皇太子を正式に決定する儀式として立太子の礼が極めて重要な意味をもっていた、という経緯があった。

 だが武家政権下、南北朝時代の崇光天皇(北朝)から江戸時代の後西天皇までの300年余りにわたり、立太子の礼は途絶えることになる。その後、復活したが、長期の中断ですでに後継者指名儀式としての重みや意味合いは低下した。さらに明治時代以降は、旧皇室典範で規定された皇位継承順位に従って皇太子が決定されるようになったため、立太子の礼は伝統はあるが、あくまでも儀礼的な行事となった。

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