プロ球団の“選手”から“経理”に転身 元DeNA「異色の右腕」が選んだ意外なセカンドキャリア「シーズン中から簿記の勉強を始めていました」
「他の人をサポートする仕事に就きたい」
「プロ5年目の右のリリーフピッチャーでしたから、“そろそろ戦力外通告もあるな……”という思いはずっと持っていました。この年はキャンプ、オープン戦と圧倒的に自信を持って開幕を迎えたのに、最初の登板でいきなり1回6失点という散々な結果となりました。“このままやっていてもダメだろう。何かを変えなければ……”という思いはあるのに、何をすればいいのかわからない。暗闇の中で迷い始めたのがこの年でした」
笠井の予感は的中する。シーズン終了後、球団から戦力外通告を受けた。すでに覚悟はできていた。それでも、「他球団に移籍して、環境が変わればまだ可能性はあるかも?」との思いでトライアウトに臨んだものの、獲得に名乗りを上げる球団はなかった。
「もう満足でした。大学の野球部を2日で辞めて、“もっと野球がしたい”という思いで独立リーグに行って、その後はNPBでも投げることができた。もう満足でした。完全燃焼でした。そんな思いを持つことができたことが、自分でも嬉しかったです」
未練なく野球への思いを断ち切ることができた。プロでの成績は、20試合登板で勝敗はつかず。18失点で奪三振は23、防御率は5.93だった。
第二の人生もまた前向きに進んでいこう。そんな思いを抱いていた笠井の下に意外なオファーが届く。それが「球団の経理にならないか?」という申し出だった。大学ではスポーツ科学を専攻していた。商業高校出身でもなければ、商学部卒業でもない。簿記など見たこともなければ、貸借対照表の見方もわからない。まったく未知の分野である。一体、どうして、そんなオファーがもたらされたのか?
「実は現役最後となった21年のシーズン途中、球団の人との雑談の中で、“引退後はどうするか?”という話題になったときに、“僕は経理をやってみたい”と言ったんです。まったくの未経験ではあったけど、“まずは簿記の資格を取ればいい”というように、やるべき順番がハッキリしていたので、社会人経験のない自分にも向いているような気がしたんです」
実はこの頃、笠井はチームメイトに内緒で「適職診断」を行っていた。「すでに来季の契約はないだろうな」と考えていた彼は、インターネットの関連サイトをしばしば訪れていたのである。
「適職診断の結果、“人前に出てみんなを導くよりも、裏方に回って人々を支える方がいい”という結果ばかりでした。実際にこの頃は、次の仕事は、他の人をサポートする仕事に就きたいと思っていました。だから、シーズン中からすでに簿記の勉強を始めていたんです」
多くのファンの前で自らの技術を披露して大金を稼ぐプロ野球。それは一面では、いくら努力しても、必ずしも報われるとは限らない正解のない世界でもある。華やかな世界に疲れ果てていた笠井にとって、やるべきことが明確で、「白か、黒か?」、必ず正解がある経理職に対する憧れが大きくなっていた。
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