早大野球部を2日で退部…元DeNA「笠井崇正さん」が「サークル出身のプロ野球選手」になるまで

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「そのままでは先に進めない」――野球に対する未練

「授業の前にアシスタント同士でキャッチボールをしていたとき、谷沢先生から、“独立リーグには興味がないの?”と聞かれました。当時の僕はきちんと理解していなかったんですけど、よく調べてみるとちょうど武蔵ヒートベアーズが誕生したばかりで、“ひょっとしたら、大学に通いながら独立リーグ入りもできるかもしれない”と気づきました」

 通っていた早大スポーツ科学部のある埼玉・所沢からヒートベアーズの本拠地・熊谷なら「大学との両立も可能かもしれない」と笠井は考えた。3年生になる直前にトライアウトを受けたが、結果は不合格だった。

「特に本格的なトレーニングを積んで臨んだわけではないので、最初のトライアウトは雰囲気をつかむというか、“このレベルの人が合格するんだな”というのを知るためのものでした。その上で、3年の11月に受験した二度目のトライアウトで合格を決めました」

 独立リーグドラフトによって、笠井は信濃グランセローズへの入団が決まった。こうして、大学4年時の2016(平成28)年、早稲田大学に在籍したまま独立リーガーという、二足の草鞋を履くこととなった。

「大学3年の時点でかなり単位を取っていたのが幸いしました。それで、前期はリモート中心で授業を受けながらプレーをして、ペナントレースの終わった後期は学校に通って勉強することにして、それで大学と野球の両立も何とかなりました」

 大学に在籍したまま、独立リーグでプレーする。わずか2日で野球部を辞めた彼を、そこまで駆り立てたものは何だったのか? 質問を投げかけると、笠井は静かに口を開いた。

「そのままでは、先に進めない。そんな思いがあったからです。わずか2日で野球部を辞めたけど、心の中では“もっと野球がしたい”という思いがありました。もしもそのまま一般企業に就職したり、公務員となったりしても、その思いはずっと残ったままだったと思います。だから、“身体の動くうちに野球をやってみよう”、そんな思いで臨んでいました」

 新人独立リーガーとして臨んだ16年シーズン、笠井は前後期併せて35試合に登板し、3勝1敗1セーブ、防御率2・43という好成績を記録する。後期には、自己最速となる151km/hを計測。プロ野球スカウトの目に留まることになった。

 そして、同年10月に行われたドラフト会議において、笠井はベイスターズから育成1巡目の指名を受けた。「早大野球部をわずか2日で退部」した「サークル出身プロ野球選手」が誕生した瞬間だった。

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