Nステで「久米宏」と共演した元人気アナが、模型の「タミヤ」会長から「日本一のタミヤファン」と称される理由
「松井さん、ウチを手伝ってくれないか」
「中学から大学までの期間は、学業や部活動で忙しく、プラモデル製作や収集からは離れていたのですが、テレ朝に入ってから絶版キット探しを復活しました。今では、未組み立ての絶版キットが少なくとも3000個あります(笑)。その最中のことですが、ウィンドウズ95が世間で話題になっていて、インターネットへの関心が高まり始めていました」
試みにパソコンをネットに接続し「TAMIYA」や「タミヤ」、「プラモデル」と打ち込んでも、ほとんど何もヒットしない。まだ黎明期だったこともあるが、それなら自分でタミヤを紹介するホームページ(HP)を作ろうと「田宮模型歴史研究室」というHPを、98年7月に立ち上げた。「1/35ミリタリーミニチュア」シリーズの誕生30年を記念して、自身の研究成果と共に、集めた秘蔵キットをもとに、タミヤのこれまでの歴史を正確に記録したいと思ったのだという。
「ただ、HP内で勝手にタミヤの製品やロゴマークなどを使うのは、権利関係で問題にならないか心配になりまして。知り合いの模型雑誌の編集長に、タミヤに許可を取ってもらえないかとお願いしたんです。そうしたら、次の日『田宮俊作社長(当時。現会長、89)も、宣伝になるしOKですと言ってくれましたよ』と」
詳細な初版からのキット解説やタミヤのロゴマークの変遷など、田宮会長も「日本一のタミヤファン」「もっともタミヤに熱い思いを抱いてくれている方」(『伝説のプラモ屋 田宮模型をつくった人々』文春文庫)と認める内容だった。2000年に刊行されたタミヤ公式ガイドブック『田宮模型全仕事』(文藝春秋)は松井さんが執筆・監修を担当。HPも開設10年目で、120万ヒットを達成した。やがて、田宮会長と会うたびに、同じことを聞かれるようになったという。
「松井さん、今いくつ? 53か。定年まで7年あるな……」
「松井さん、いくつになった? 54歳。あと6年か……テレビ朝日で定年を迎えたら、ウチを手伝ってくれないか」
松井さんはその都度、冗談だろうと思って、その場は笑っていたが、やがて田宮会長の本気を知ることになる。
*第3回では、タミヤで取り組む新たな仕事。そしてこれから取り組みたい課題などについて語る