元テレ朝「人気アナ」、定年後は「タミヤ」の“模型史研究顧問”に 小6から「絶版キット」収集の筋金入り“プラモデル”愛

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 株式会社タミヤといえば、男性読者にはなじみ深いはずだ。誰もが一度は、同社のプラモデルを作ったことがあるのではないか。静岡市にある本社正面玄関を入り、2階に上がると中央にロビー。その右側には実車展示コーナーがある。プラモデルやRCカーで製品化された車をメインに、貴重な車両がズラリと並んでいる。さらに、ロビーを挟んで左側に進むと、創業間もない1950年代からの貴重な製品が展示されている「タミヤ歴史館」があり、自由に見学できる(ただし事前予約制)。入り口に立ち、笑顔で迎え入れてくれたのは、松井康真さん(61)。テレビ朝日の元アナウンサーで、「ミュージックステーション」や「ニュースステーション」などの番組を担当した。テレビ朝日を定年退職後、現在はタミヤの仕事をしているという。早速、お話をうかがった。(全3回の第1回)

「模型史研究顧問」

「株式会社タミヤ 模型史研究顧問」。頂いた名刺にある、松井さんの肩書きだ。今年の3月に新たにできた役職だという。

「テレビ朝日は60歳の誕生日月で定年退職となります。私の場合は、昨年3月末でした。ありがたいことに、会社からは雇用継続の話を頂いたのですが、丁重にお断りしました。というのも、定年後にどうしてもやりたいことがありましてね」

 在職中は、テレビ朝日にいたからこそできたことも沢山あった。だが、「どうしてもやりたいこと」は、会社を出ないと実現できないだろうと考えたのだという。それは、三つあった。

「私の故郷は富山県井波町という小さな町です。現在は市町村合併で南砺市になっていますが、“木彫りのまち”として知られ、小京都のような本当に素敵なところです。しかし、これまでその魅力を十分に発信できていないと思っていました。そこで、やりたいことの一つ目は、私の故郷を日本だけでなく、世界中に知ってもらえるようにPRしていくということです。二つ目は、アナウンサーの仕事がしたい……というのも、テレビ朝日における私の最後の仕事は、報道記者が長かったものですから」

 東京工業大学工学部出身の松井さんは、もともと原発問題に関心を持ち、個人的に研究・勉強もしていた。2011年3月11日に東日本大震災が起こり、福島第一原発事故が連日のように報道されると、その取材にかかりきりになる。ほどなくして報道担当役員から報道局に引き抜かれ、原子力問題担当の記者を5年、さらに宮内庁担当記者と並行しながら、テレビ朝日に初めてできた気象災害担当記者を定年まで務めた。

「そんなわけで、最後は記者職がメインだったものですから。もう一度、アナウンサーの仕事、特にイベントの司会をやってみたいと思っていました。そして、定年後にどうしてもやりたいと思っていた最後の一つ、それがタミヤに関わる仕事だったのです」

生産停止キットを買い集める

 松井さんとタミヤとの関係は、小学校3年生の時。タミヤの戦闘機プラモデル「1/100ダッソーミラージュ」と「1/100イリューシンIL28ビーグル」を親戚に買ってもらい、組み立てたことがきっかけだった。

「当時の値段は100円でした。キット自体の素晴らしい出来はもちろんですが、組立説明図を見ると、組み立て方だけでなく、モデルとなった戦闘機の詳細な説明が書いてありました。プラモデルというと、“子どものおもちゃ”というイメージが先行しますが、大人でも楽しめるどころか勉強になることが細かく書いてある。現在のようにインターネットもなく、小学生が専門的な資料には容易にたどり着けない時代に、これは本当に貴重でした。以来、他のメーカーには目もくれず、タミヤに夢中になりました」

 さらに、小学4年生の頃、製作中のキットパーツに不良成型品があり、うまく組み立てられなかったことから、そのパーツに手紙を添えてタミヤ本社に送ったことがあった。

「そうしたら、すぐに代替品とお詫びの手紙、それから新しいパンフレットが送られてきました。びっくりすると同時に本当に嬉しくて。タミヤは小学生を子ども扱いしないんだと、それからずーっとタミヤファンです」

 松井さんのタミヤ好き=プラモデル愛は、「作る」だけではない。「集める」ことにおいても卓越していた。

「小学校6年生くらいの頃から、絶版キットを集め始めるんです。総合カタログを手に入れてキットの説明を読むと、最後に星印が付いているのがあって『このキットは今年度で生産が停止します』と書いてある。それなら、そのキットを買って、作らないでとっておこうと思ったんです」

 タミヤは1967年1月から「タミヤニュース」という広報誌を創刊、現在も刊行されている。新製品情報や、情景写真の掲載、各界のタミヤのプラモデル愛好家の紹介など、プラモ好きにはたまらない情報が満載だが、まだネットのない時代は貴重な情報源であった。松井さんは小学6年生から定期購読を始め、バックナンバーも入手して、全ての号を所有しているという。

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