40年以上のヒット曲なしは「理想の売れ方」 スターダスト☆レビューが歩む“音楽で生きる道”
アーティストとの交流で気付かされたこと
多数のアーティストとの交流でも知られるスタレビだが、デビューから10年ほどはメンバーの意向もあり、あまり積極的に付き合ってはこなかったという。しかし1990年代半ばからバンドとしての考えを改めていった。「周りに上手なアーティストはいっぱいいる。外から眺めるだけでなく、一緒にやってもっと刺激を受けたい」と根本も感じていた。
大きなきっかけとなったのは、当時、所属していた事務所「アップフロントエージェンシー」のアーティストで組まれた「パシフィックヘブンクラブバンド」。顔ぶれは森高千里やシャ乱Q、KAN、そしてスタレビらだ。中でも、音楽の方向性や嗜好も違うアーティストたちの間をうまくつなげてくれたKANの存在はとてつもなく大きかったという。
「1999年と2000年だったと思うけど、所属アーティスト全員で一つのバンドとして演奏しよう、という企画でした。完成形も見えない僕にKANちゃんが『要さん、こんな曲どうですか?』って新曲を持ってきて。それが、各ミュージシャンの持ち味が絶妙に組まれていて、しかもすっごくいい曲だったんですよ。俺が俺が的なミュージシャンがほとんどの中で、KANちゃんみたいに音楽を愛し、全体像を考えられるようなミュージシャンでいたいな、って素直に思いましたね」
2000年の「ナチュラル~抱きしめてこのままで~」では相田翔子、2003年の「デェラ・シエラ・ム」ではCHAGE&ASKA、2004年の「本日のスープ」では大泉洋。発売したシングルでのコラボに加え、ライブなどではポプコン時代からの盟友でもある杉山清貴をはじめ、バンドとしてだけでなく、根本個人としてもあらゆるアーティストとコラボしている。
サービス精神にあふれたライブ
「デビューから40年。残念だけど、当時のスタッフが望んだ大ヒットは一度も出ませんでした。今でこそそこそこ知られているスタレビの代表曲だって、当時はほとんど売れず、30年も歌ってるからみんなが知ってくれるようになっただけのこと。でもそれって僕にとっては理想の売れ方なんですよね」
根本はスタレビの活動についてこう述べる。確かに、ミリオンヒットとなるシングル曲など出たことがないのは事実だ。とはいえ、ライブ会場はいつも賑やか。そのライブでバンドの曲だけでなく、根本のトークを楽しみに訪れる人は多い。
「アマチュア時代とか、やたらと曲間がダラダラしてしまうので、自分なりに何とかしなきゃと思ってしゃべり始めました。話が得意と思ったことはないけど、昔から生徒会長をやるようなヤツだから、それなりにしゃべり好きだったんでしょう」
その逸話として、小学生の頃、夏休みの宿題の工作の発表会で、何も工作物を作らずにしゃべるだけで終わらせた、と根本は明かして笑うが、そのトークをはじめ、スタレビのライブはサービス精神にあふれている。
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