3~4組のバンドを掛け持ち、ルール全無視でコンテスト受賞… 根本要が語る「スターダスト☆レビュー」デビューまでの歩み
「木蘭の涙」「今夜だけきっと」などを世に送り出したバンド「スターダスト☆レビュー」は、今年で結成43年を超える。フロントマン・根本要(67)が、自身の音楽の原点、1981年のデビューに至るまでの道のりを語った。今日の根本のスタイルは、アマチュア時代からその片鱗が――。
(全2回の第1回)
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【写真を見る】歌い方がほぼ変わっていない…根本要のデビュー前と現在を比較
中2でバンド結成、ラジオで自作曲が流れる
「音楽的なルーツは1970年に公開された映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』ですね」
1957年生まれの根本が中学1年だった時に公開された映画。2人いる兄の影響で、当時からエレキギターを持ってロックバンドをやりたかったというが、中2の時にこの映画で新たな世界を見た。
「映画を観たら『クロスビー、スティルス&ナッシュ』やリッチー・ヘブンスが、アコースティックでロックをやっていたんです。こんなやり方もあるんだと、すぐに同級生のアコースティックギターを弾ける友達と歌の上手い友達を誘い、3人でバンドを組みました2」
バンド名は適当にウケ狙いで「怪盗20面チョ」。だが音楽的には真剣で、ギター2本という楽器の少なさをカバーするためにコーラスもふんだんに取り入れた。生徒会長となってからは、毎週土曜日に行われていた生徒集会でフォークソングやCMソングなどを歌っていたという。
そこで演奏したオリジナル曲を別の友人がこっそり録音し、無断でニッポン放送のコンテスト番組「フォーク・ビレッジ」に送っていた。なんとその曲が電波に乗って流れ、翌日、根本はその友人から録音したテープを聞かされた。そこではパーソナリティのかまやつひろしがこんなことを言っていたという。
「彼らコーラスむっちゃ上手いし、中学生だって言うけど。そんなはずないよね~」
プロにそう言わしめるほど、根本の才能は当時から際立っていたのだ。
先生に黙ってオーディションへ
「怪盗20面チョ」として流された曲はその後、審査を通り、オーディション予選も突破。中3時に出場した神田共立講堂での関東甲信越大会も勝ち抜き、日比谷の野外音楽堂で行われる決戦大会へ臨むこととなった。
決戦大会の頃、根本は地元の進学校の埼玉県立不動岡高校で1年生になったばかりだった。生徒集会でギターの弾き語りをさせてくれるような寛容な中学時代と異なり、バンドの大会を理由に学校を欠席できるような雰囲気はなかった。
進学したばかりということもあり、担任に早退の許可をもらいに行くと、「学年主任に相談してくる」と頼みに行ってくれたが、結果は不許可。卒業後、40年近く経って開かれた同窓会で、この担任は「根本君、僕は君に申し訳ないことをしたとずっと悔やんでいるよ。活躍は聞いている。こういう職に就くのなら、なぜあのとき行ってこいと言えなかったんだろうと」と謝ってくれた。だが、根本は笑ってこう答えた。
「安心してください、先生。僕はあの日、勝手に休んでいきましたから」
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