「タワマンは将来の廃棄物」という主張は正しい… “年86万人減”の社会に高層建築はいらない

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必要ないのに300を超えるタワマン計画

 不動産経済研究所の『超高層マンション動向2024』によると、2024年以降に完成予定のタワーマンションは、全国で321棟、11万1,645戸にものぼる。多いのは首都圏で194棟を占めるが、計画は全国にくまなく存在し、現状でタワマン計画がない都道府県は、石川県や鳥取県など8県にすぎないという。

 事実、全国各地で進む再開発計画の多くは、タワーマンションが組み込まれている。東京都心や湾岸エリアがいい例だが、タワマンは周辺相場より2、3割ほど高額だといい、資産性の高さから投資対象としても人気なのだという。

 しかし、冒頭の地方都市の話にもどると、既存の商店街にはシャッターが閉まった店が多く、住宅街も虫食いのように家が失われ、残された家も空き家が目立つ。ところが、そんな町は放置され、再開発地区にタワマンが建ち、家並が壊れた住宅街も高いマンションから見下ろされている。あまりにいびつな光景ではないか。

 人口減を受けて既存の町が危機を迎えているのに、それを放置して周囲にタワマンなどを建てれば、既存の町がさらに衰退することぐらい小学生でもわかる。だが、日本ではそれが多くの都市の実態である。

 マンションが建って、建設業者や不動産業者が利益を上げ、住人として富裕層を町に呼び込めれば、短期的には税収が増える。だから、自治体は黙認しているのかもしれないが、人口減社会において自治体が取り組むべきことは、既存の町を、土地にまつわる記憶や伝統を活かしながら再生させることだろう。

 空き家が増えているのにマンションが建てば、さらに空き家が増え、既存の町が衰退するだけである。しかも、日本の再開発はたいてい広すぎる道路と高層建築がセットで、都市の伝統や歴史性とは切り離され、ヒューマンスケールが無視される。そういう町は、よほど人が集まって賑わいが得られないかぎり住みにくい。そのうえ将来のお荷物になる。

「タワマンは将来の廃棄物」

 神戸市では市中心部でタワマン、すなわち20階建て以上のマンションが、事実上新築できなくなった。7月29日付の朝日新聞で、久元喜造市長がその理由を話しているが、目先にとらわれず先を見据えた正論である。

「人口が減るのが分かっていながら住宅を建て続けることは、将来の廃棄物を作ることに等しい。タワマンはその典型」というのが市長の回答で、記事では「廃棄物」についての久元市長の見解を、さらにつぎのように記している。

<タワマンが老朽化すれば修繕費はかさむ。居住者は多種多様で合意形成は難しく、修繕費の備えも不十分にならざるを得ない。いずれ価値が下落して居住者が減れば、解体費用をまかなえずに廃墟化し、まちの中心部に残る――>

<市中心部のタワマン建設ラッシュで住民を引き寄せれば、都市部の過密と同時に周縁部の過疎は一層加速する。増える空き家は、じきに廃棄物に。郊外が「歯抜け」状態となれば、本来はまちづくりに生かすべき鉄道などのインフラの維持が難しくなり、市の資産は負債に転じる>

 私が拙稿を書いている最中に、この朝日新聞の記事が掲載された。そして、私が途中まで書いたことと、ほとんど同じ趣旨の主張であることに驚くとともに、慧眼の市長の存在を知って希望を持った。

 人口が減少する局面では、タワマンにかぎらずマンションを建てる必要はない。建てただけ日本中に廃墟が増える。新築したマンションが廃墟になるだけでなく、周縁部が過疎化して廃墟になる。だから、もう建ててはいけない。建てなければ、すでに壊れてしまった景観を少しでも維持することにもつながる。

 しかし、神戸市などごく一部の自治体を除き、日本の都市は廃墟へとまっしぐらに進んでいる。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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