「関係は10回」「キスが上手」… 「クリントン元大統領の不倫相手」モニカ・ルインスキーの“意外”な現在 自ら“暴露”も「スキャンダルが独り歩きした」とお怒りに

国際

  • ブックマーク

 過去に世間を騒がせたニュースの主役たち。人々の記憶が薄れかけた頃に、改めて彼らに光を当てる企画といえば「あの人は今」だ。今回紹介するのは、1998年にビル・クリントンとの不倫スキャンダルで世間を騒がせた、モニカ・ルインスキーのその後である。

 ***

〈今後4年間、不満を言い続けたいのなら、投票に行かなければなりません〉

 11月に行われるアメリカの大統領選。選挙が間近に迫るこの時期は、各候補者・各陣営による選挙運動だけでなく「まずは投票に行こう」と呼びかける、いわば“民主主義のための選挙運動”も盛んに行われる。

 冒頭のフレーズも、アメリカのとある有名ファッションブランドが今年3月に展開した「You’ve Got the Power」という大統領選キャンペーンの一環としてリリースされたもの。「投票しない者に文句を言う資格はない」というこの手の主張は日本でも時折見られる言説で、取り立ててユニークなフレーズというワケでもない。

 ところが、この発言の主がかのモニカ・ルインスキー(51)であると知れば、また格別の味わいがあるのも事実である。

体液が付着したドレスまで出てきて……

 ホワイトハウスの元実習生、ルインスキー(24)=当時=とアメリカ合衆国第42代大統領のビル・クリントンとの、前代未聞の不倫スキャンダルが幕を開けたのは1998年1月のことであった。二人の不倫疑惑を報じたマスコミに対し、クリントンは妻・ヒラリーを伴ってホワイトハウスで会見を開き、「ルインスキーさんと関係を持ったことは一度もありません」と疑惑を一蹴。

 一方、クリントンから二人の関係について口止めされていたルインスキーは、同僚にそのことを電話で相談。この電話の録音テープが検察側に持ち込まれ、ルインスキーとクリントンはそれぞれが偽証罪に問われる事態となったのだ。

 在米ジャーナリストが当時を述懐する。

「当初はこの『録音テープ』くらいしか証拠がなく、ルインスキーも疑惑を否定していたため、捜査は膠着(こうちゃく)状態でした。ところが、同年7月、検察側が持ちかけた『不倫を認めれば偽証罪はチャラ』という司法取引を彼女が受け入れたことで事態は一変した。彼女はクリントンとの関係を一から十まで明け透けに証言したばかりでなく、大統領の体液が付着した青いドレスまで証拠として提出。クリントンは疑惑を認めざるを得なくなったのです」

あまりに生々しい“一部始終”

 ルインスキーが証言した大統領との一部始終はあまりに生々しく、捜査報告書がインターネット上に公開されるや、世界中のマスコミがその内容を詳報した。

 この報告書によれば、二人が関係を結んだのは、大学を卒業したばかりのルインスキーがホワイトハウスのインターンとして採用された95年から97年にかけての計10回。クリントンは、ルインスキーによれば、

「『最後までやらせて』と私が頼んでも、彼は『もっとキミを信頼できるようになってから』と」

 アメリカの大統領にまで上り詰めた人間の強い警戒心がうかがえる一方、別の記述からはあまりにアンバランスな欲望とゆがんだ倫理観も垣間見える。

果敢すぎる方向転換

 例えば、クリントンはある時、自身が持っていた葉巻をルインスキーの中に入れ、それを抜き出した後、くわえてこう言った。

「It tastes good(おいしい)」

 またある時は、行為を中座してズボンの前が膨らんだまま執務室で仕事の応対に当たったこともあった。さらに、関係を清算する際には、こう口にしたという。

「これまで何百人もの女性と関係を持ってきたが、40歳を境に妻を裏切らないよう努力してきた」

テレビをハシゴで自ら暴露

 だが、男が男なら女も女。世間が瞠目(どうもく)したのは、クリントンよりもルインスキーの狂気の方だった。

「一連の騒動で“時の人”となったルインスキーは、テレビのインタビュー番組をハシゴし、『大統領はキスが上手』など、次々とクリントンとの秘め事を暴露しました。イギリスのテレビ局のインタビューに応じた際のギャラが当時の価値で約8000万円と報じられたこともありましたし、騒動の翌年に出版した暴露本『モニカの物語(邦題・モニカの真実)』はミリオンセラーに。“スキャンダル長者”とすら言われたほどです」(前出の在米ジャーナリスト)

 転んでもタダでは起きない。そんな彼女の行動力は見ていて気持ちがいいくらいだったといい、

「パパラッチに追いかけ回されたストレスで増えた体重を減らすため、ダイエット会社の広告塔となって見事14キロの減量に成功。また、『リアル・モニカ』なるハンドバッグのブランドを立ち上げ、実業家としての顔も持つようになった。すごいのは、これら全てが騒動からたった数年のうちの出来事だということです」(同)

 もっとも、世間の興味もそう長くは続かない。しかし彼女は、スキャンダルの影響が下火になった雌伏の期間を利用し、果敢に方向転換を図ったのだ。

「プライバシー侵害が行われた」

 騒動から16年の月日がたった2014年、ルインスキーはアメリカの月刊誌「ヴァニティ・フェア」に手記を寄せ、約10年ぶりにメディアに登場した。

 過激な書き出しで始まるこのエッセイで、彼女は「問題は、騒動の過程で深刻なプライバシー侵害が行われたこと」だと主張したのである。

「06年にイギリスの大学で社会心理学の修士号を取得した彼女は、自身が、自らに押された烙印(らくいん)によっていかに苦しめられたかを“社会活動家”として訴えたというワケです」(同)

 実際、15年にはさまざまな著名人が登壇する講演会「TEDスピーチ」に登場。ネットいじめの撲滅を訴えた。

 ルインスキーは現在もヴァニティ誌への連載を続けている。今年7月には、連載10周年に合わせて、自らの半生を総括するエッセイを寄稿。

〈私は世界最強の男との政治的なスキャンダルの渦中にいたことが何を意味するのかと考えた〉

〈私たちのスキャンダルは、政府と司法の行き過ぎた介入、テクノロジーとタブロイド紙の爆発的普及によって、独り歩きしていった〉

 空前のスキャンダルから生還したルインスキーは、今も気炎を吐き続けている。

週刊新潮 2024年8月15・22日号掲載

特別読物「これぞ世界仰天ニュース 国際版『あの人は今』」より

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。