北京五輪開会式「口パク少女」の転落人生「仕事を選ばず消耗」「名門音大に次々不合格」 一方、“影武者”はアメリカで成功していた

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 過去に世間を騒がせたニュースの主役たち。人々の記憶が薄れかけた頃に、改めて彼らに光を当てる企画といえば「あの人は今」だ。今回紹介するのは、北京五輪の開会式で世間を騒がせた「口パク少女」のその後である。

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 独裁国家では、たびたび「影武者」の存在が取り沙汰される。北朝鮮の金正恩総書記しかり、ロシアのプーチン大統領しかり……。しかし、国際的な表舞台でここまで大々的に影武者の存在が明らかになることも珍しかろう。

 2008年8月に開催された北京五輪の開会式での一幕である。

“偽装”のオンパレードだった開会式

 かねて「オモテ」と「ウラ」、「ホンネ」と「タテマエ」の激しい乖離が国際社会から指摘されてきた中国のこと。国の威信を懸けた初めての五輪開会式が“偽装”のオンパレードとなることは、ある意味「必定」であった。

 実際、

「開会式の映像で北京市街に打ち上げられた『巨人の足跡』をかたどった花火の多くがCGだった」

「中国の少数民族かのように民族衣装をまとって登場した子どもたちの大半が、漢民族の子どもだった」

「“生中継”として配信されたヘリコプターからの空撮映像が、以前に撮影された録画であった」

 など、開会式の演出で立て続けに露見した「偽装」の数々は「そりゃ、中国だもの」と、ほとんどご愛嬌(あいきょう)の趣すらあった。

 ところが開会式の数日後に新たな事実が発覚する。

「愛国歌『歌唱祖国』の独唱を披露した9歳の少女に、実は影武者がいた」

 これには、国外のみならず中国国内からも驚きの声が上がった。それもそのはず、なにせ当の本人たちですら「自分に影武者がいたこと」、あるいは「自分が影武者であること」を知らされていなかったというのである。

ルックスで選ばれた「口パク少女」

 コトの経緯は次のようなものであった。

 開会式の演出総責任者を務めた映画監督の張芸謀(チャンイーモウ)は、08年6月、「歌唱祖国」独唱のための選考会に臨み、林妙可(リンミャオコー)という当時9歳の少女を発掘した。このとき林と最終選考まで競っていたのが、後に「影武者」に仕立て上げられた7歳の少女・楊沛宜(ヤンペイイー)だった。

 当初の計画は、林が開会式で独唱を披露し、楊は不測の事態に備えて「代役」として待機しておくというもの。しかし、この役割分担は決して満場一致で決まったわけではなかった。林はルックスこそ優れていたものの、歌唱力という点では楊に及ばない。一方の楊はちょうど歯の生え替わる時期で、ルックスこそ林に劣るものの、歌唱力は圧倒的であった。

 張を含む運営委員会のメンバーたちは、「見た目」を取るか「歌唱力」を取るか、非情な二者択一を迫られることになったのだ。

 ところがふたを開けてみれば、張らの選択は想像の斜め上をゆくものであった。すなわち、ルックスの良い林を表舞台に立たせ、実際には圧倒的な歌唱力を持つ楊に歌わせる。しかも、当事者たちにもそれを告知せず、林は自らのマイクの電源が切られていることも知らずに舞台上で歌い続け、楊も会場で流れているのがまさか事前に録音した自分の声だとは夢にも思わず、控室で待機していたのである。

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