父が実娘に5人の子を産ませ……「虎に翼」で注目 歴史的違憲判決を導いたおぞまし過ぎる栃木「実父殺害事件」とは

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夫婦のように父と

 A子が17歳になったとき、母親たちが北海道から戻ってきた。母親の実家の屋敷に掘立小屋を建て、家族全員での生活が再び始まったが、父の悪癖が止むことはなかった。酒を飲んではA子の体を求め、止めに入った母親と諍いが絶えない状態になった。そんななか、A子は父親の子を妊娠したのである。

 実の父親からの性暴力という耐えがたい苦しみのなかにあって、A子はこの当時、まだ抗う気力があった。掘立小屋に住んでいた時期、彼女は二度、脱出をはかったのだ。しかし半狂乱になって探す父に見つかり、連れ戻されてしまった。そのうえ父親は、母親の留守を見計らって、無理やりA子と妹のうちの一人を連れ、掘立小屋からの引っ越しを図る。引っ越し先は部屋がひとつしかなかったこともあり、父親から同じ布団で寝ることを強いられ《夫婦のように父と一緒に寝ていた》というA子はそれでも、また何度か家を飛び出したが、そのたびに父親から連れ戻された。やがてA子は長女を出産。17歳だった。

 子供が産まれたことにより《逃げても逃げきれないとあきらめてしまい、父のいう通りになっていました》と逃げる気力を失ったA子。惨劇の現場となる矢板市の市営住宅に移り住んだのち、立て続けに4人の子を出産。そのうち下の2人は産まれて間もなく死んだ。妹は中学を卒業すると千葉県の工場に就職し、父親とA子、その子供3人で市営住宅に暮らした。実態はいびつでありながら“夫婦と子供3人”の平凡な家族のように見えていた。

 どんなにあがいても、この生活からは逃れられない……そんなあきらめの境地に至っていたA子だったが、ふたたび、自分の人生を取り戻したいと思い直すようになる。印刷工場に勤め始めたことで生まれた、ある男性への恋心がきっかけだった。

 後編では、A子が実父を殺害するに至る経緯と事件の“その後”を記す。

※執筆に当たり、週刊サンケイ(1971.10.4、1973.4.27)のほか、週刊読売(1972.6.10)、週刊ポスト(1973.4.20、1973.6.22)、サンデー毎日(1973.4.22)、女性セブン(1988.1.1)の各誌を参考にしました。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部

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