「靖国参拝」の問題はA級戦犯合祀ではない… テロリストも顕彰する“薩長に寄りすぎ”の史実

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合祀の基準は濃厚なイデオロギーだった

 まだまだ例はいくらでもあるが、最後に1つを簡単に紹介する。戊辰戦争では周知のように、会津藩と庄内藩が新政府軍から朝敵視された。このとき仙台藩主と米沢藩主が総督府に赴き、会津藩が新政府軍に謝罪し恭順する旨を伝えたが、却下されている。その判断の中心にいたのが、天皇の権威をかざした高圧的な態度をとる総督府下参謀で長州藩士の世良修蔵だった。

 明治元年(1868)4月、世良は福島藩士や仙台藩士らに捕らえられ、斬首された。東北の人たちからみれば、到底許されない人物だったのだが、明治2年には早速、靖国神社になる前の東京招魂社に合祀された。

 薩長藩閥政府の樹立に貢献したと判断されれば、テロでさえ称揚する。残念ながら、靖国神社への合祀の基準を見ていると、そういわざるを得ない。井伊直弼に、国を思い天皇を尊重する姿勢がなかったとだれがいえるだろうか。しかし、彼は薩長が倒すべき対象だった旧政府の人間であった以上、評価されないのである。

 もちろん靖国神社には、高市大臣がいう「国策に殉じられたみなさま」も、共産党がいう「“天皇のため”にたたかって死んだ軍人・軍属」も祀られている。だが、祀られるための基準はそこにあったわけではない。これまで交わされてきた靖国神社への参拝をめぐる議論は、本質からズレている。

 ここまで述べたように、濃厚なイデオロギーが合祀の基準であることが靖国神社の最大の問題である。テロの首謀者も、その時点では公共の利益にかなうと信じた行動だったといえなくもない。時代の波に巻き込まれて過ちを犯した人物を、いまさら合祀の対象から外せとまではいわない。

 しかし、内乱によって命を落とした人物の、一方の側だけを称揚するようなことはあってはなるまい。いまからでも「国策に殉じられたみなさま」が広く祀られる神社となることを願わざるをえない。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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