沖縄陥落で延期、玉音放送で予定変更…まさかの展開で「特攻命令」を免れた元学徒兵たちの証言「ハァーって溜息が出るような気持ち」
満州に渡った学徒兵は長い抑留生活に
満州に渡った学徒兵の場合は、ソ連軍の侵攻によって、より長い抑留生活を余儀なくされた。情報部に所属していた今泉保二氏(80)は本隊から孤立し、ソ連軍から逃れながら、部隊60人を率いて南の司令部に向かったが、
「9月の初旬に到着したのですが、すでに日本軍は引き揚げていて、ソ連軍に占拠されていた。この時ばかりは血の気が引きました。その翌朝、部隊はソ連軍に完全包囲され、部下が10人以上も射殺されました。徹底抗戦を主張する下士官を必死で説得して、武装解除を受け入れたのです。もう、我が隊の任務は終えたと思ったんですね」
ソ連軍の捕虜となった今泉隊は、ソ連軍に身包み剥がされ、時計や万年筆から、捕虜生活に必要な三種の神器といわれる飯盒、水筒、ナイフまで奪われてしまったのだそうだ。以後2年以上も、捕虜収容所を転々とし、最後はナホトカの収容所。日本に戻れたのは、昭和22年の11月だったという。
出陣学徒は、命を永らえた場合も散々な目に遭ってきたことがわかる。
死の覚悟は60年前にできている
あらためて60年前の外苑行進の感想を尋ねると、大方の答えは、
「否も応もなく、運命を受け入れる他なかった」
である。その後、多くの人たちは復学し、日本の高度経済成長に大きく寄与した訳だが、ここにご紹介したように、すでに齡80となった。
そのうちの1人は、
「数年前から大腸癌、肝臓癌を患いまして、今は肺癌と闘っています。抗癌剤治療で頭の毛も抜けましたが、毛ぐらいはどうでもいいから、闘えるだけ闘うしかないと思っているのですよ。孫の顔が見られるので、大満足ですが、この先、どこまで孫の成長を見られるか……。これが生きがいとなっているのかもしれませんが、死を迎える覚悟は、60年も前にとっくに出来ていますから……」
さすがに無理が利かない年齢となったため、戦友が大規模に集まる碑前集会は今年が最後となるという。
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日を追うごとに失われていく戦争の記憶――。第1回【ゼロ戦で墜落死したはずが棺桶の中で蘇生、仲間が「生きているぞ」と大騒ぎして…太平洋戦争「出陣学徒」たちの壮絶体験】では、徴兵検査や古兵たちの鉄拳制裁とビンタ、棺桶の中で蘇生した驚きの体験などが語られている。
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