ゼロ戦で墜落死したはずが棺桶の中で蘇生、仲間が「生きているぞ」と大騒ぎして…太平洋戦争「出陣学徒」たちの壮絶体験
まず、服を着ようと思った
が、実戦配備となる手前の段階で“死線”を潜り抜けたのは、このケースばかりではない。陸軍で飛行訓練を受けていたものの、やはりガソリン不足で、南方へ送られた渡邊槇夫氏(80)が当時を振り返る。
「輸送船でジャワに向かう途中、フィリピンのサンフェルナンド沖で、真っ昼間に敵潜水艦から魚雷攻撃を受けたのです。私は船倉でトランプをやっていたのですが、魚雷が命中爆発した瞬間は、船倉が菱形にひしゃげてしまったかのような衝撃でした。
我に返ると、船倉にいた全員が甲板に出ようと通路が一杯で、とても通れそうになかった。不思議と慌てる気持ちがなく、まず、服を着ようと思いました。上半身を脱いだのステテコ姿を軍服に着替えて、略帽を被り、軍刀も吊って、救命胴衣も付けて、それから甲板に出て海に飛び込んだんです。水がぬるくてね、太陽が真上にあって……」
幸い2時間ほどで救助され、目的地に辿りついたが、しばし後、やはり訓練は途中で打ち切られた。
自分の真下にきた魚雷だけが不発
この翌年の昭和20年6月、渡邊氏はもう1度、乗っていた駆逐艦が、敵潜水艦から魚雷4発を受けて沈没の憂き目に遭遇した。
「この時は甲板にいたので、魚雷の雷跡がスーッと近づいて来るのが見えました。ところが、ちょうど私の真下にぶつかった魚雷だけが不発だったんです。駆逐艦の側面にぶつかる“カーン”と甲高い音が聞こえたけれど、爆発はしなかった。この時も、上から下まで軍服を着て軍刀を持って海に飛び込みました。ところが、前の時と違って、海には躯逐艦から漏れ出した油が辺り一面に広がっていて、海水の表面2~3センチくらいが真っ黒な油でした。
もし、駆逐艦から火が出ていたら、誰も助からなかったでしょうな。人間だけじゃなくてネズミも駆逐艦から逃げ出していてね。一緒に泳いでいる仲間が“おーい、そっちにネズミが行ったぞー”なんて叫ぶんです。人間もネズミも生きているのは同じだから、ネズミが乗るための筏代わりに、そこらあたりに浮いている物資を寄せ集めてね……」
幸いこの時も、2~3時間ほどで救助され、命に別条はなかったという。
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徴兵検査と短い訓練を経て戦場に送られた出陣学徒たち。第2回【沖縄陥落で延期、玉音放送で予定変更…まさかの展開で「特攻命令」を免れた元学徒兵たちの証言「ハァーって溜息が出るような気持ち」】では、特攻命令が下りながらも奇跡的な偶然で命を救われた、元学徒兵パイロットたちが証言している。
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