「これは地獄図だ」強制収容された日本人難民の2人に1人が命を落とした“死滅の村” #戦争の記憶
1945年8月、朝鮮半島。敗戦の10日後には38度線が封鎖され、北側に取り残された日本人は「難民」と化した。北朝鮮で死亡した一般邦人の数は終戦以降1946年春までに約2万5000人に達したと記す資料もある。なかでも、咸鏡南道(ハムギョンナムド)の道都・咸興(ハムン)における死者は6000人を超えた。この咸興近くの村には、北朝鮮で最多の日本人犠牲者を出した収容施設があったという――。
朝鮮半島に取り残された在留邦人の窮状を憂い、6万人もの同胞を救出する大胆な計画を立てて祖国に導いた「忘れ去られた英雄」を現代によみがえらせる『奪還 日本人難民6万人を救った男』(城内康伸著)より、一部抜粋・再編集して紹介する。...