“甲子園の魔物”は隙を見逃さなかった!ダルビッシュ有も経験した…勝利目前から痛恨の「暗転劇」 

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たった1つのエラーで試合がひっくり返った

 甲子園初勝利を目前にしながら、スリーアウト目になるはずだった一塁悪送球がきっかけで試合をひっくり返されたのが、1987年の徳山である。

 春夏通じて初出場の徳山は、エース・温品浩を中心とする守り型のチーム。1回戦の相手・東海大山形は、チーム打率.351の強力打線が売りだったが、温品は切れのある変化球を投げ分け、7回まで3安打無失点とベストピッチを見せる。

 6回までわずか2安打だった味方打線も7回裏、4番・靏本浩二が左翼手のグラブをはじき、ラッキーゾーンに入る幸運な本塁打を放ち、貴重な1点をもぎ取った。

 そして、1対0の9回、温品は1死後、三塁打を許すが、落ち着いた投球で次打者を二ゴロに打ち取り、勝利まであと1人になった。

 2死三塁から4番・渋谷俊治も詰まった投ゴロ。素早くグラブを差し出し、難なく捕球した温品は一塁に送球。これで試合終了と思われたが、「慎重に投げよう」とグラブの中で握り直したボールが不運にもすっぽ抜けてしまう。送球は一塁手の頭上を遥かに越える大暴投になり、土壇場で同点に追いつかれた。

 なおも2死二塁で、5番・赤木勇一に中前安打され、1対2の逆転負け……。ひとつのエラーが招いた暗転劇に、関雅明監督は「手中にしていた勝利が、気がついたら手にはなかった感じ。野球の基本はキャッチボールだということを思い知らされた」と1球の怖さを噛みしめていた。

球児たちに襲い掛かる“甲子園の魔物”

 甲子園名物・浜風のいたずらで目前の勝利が幻と消えたのが、2010年の開星である。

 春のセンバツで初戦敗退した試合後、「21世紀枠に負けたのは末代の恥」の発言が物議を醸し、前監督が辞任。騒動のショックからチームもバラバラになりかけたが、新監督の下、ナインは「勝つ野球」をスローガンに、心をひとつにして再び甲子園にやってきた。

 初戦の相手は仙台育英。開星が先行すれば、仙台育英も2度にわたって追いつくという、がっぷり四つの熱戦は、3対3の7回、開星がエース・白根尚貴(元ソフトバンク、DeNA)の左越えソロなどで2点を勝ち越し、三たびリードした。

 これに対して、仙台育英も9回2死無走者から安打と死球にエラーを絡めて1点を返し、なおも満塁と粘ったが、次打者・日野聡明は詰まった中飛。反撃もここまでと思われた。

 ところが、センター・本田紘章が落下点で捕球態勢に入った直後、強い浜風が打球を本塁方向へと押し戻し、懸命に差し出すグラブに当たってからポトリと芝生の上に落ちた。

 試合前から風があることに気づき、「風も計算していた」本田だったが、打球が予想以上に吹き戻されたことが、悲劇をもたらした。

 この間に2者が生還し、5対6と逆転された。その裏、開星も2死一、二塁から1番・糸原健太(現・阪神)が左中間にあわや逆転サヨナラタイムリーという大飛球を放つも、レフト・三瓶将大が横っ飛びに倒れ込みながら好捕し、ゲームセット。勝利の女神は最後まで振り向くことはなかった。

 前出の本田は甲子園を去るとき、「最後のスリーアウトまで気を抜いちゃいけない」と後輩たちに言い聞かせている。

 2017年にも、通算2度目の春夏連覇を狙った大阪桐蔭が、3回戦の仙台育英戦で、勝利目前の9回2死一、二塁、スリーアウト目になるはずだった遊ゴロの送球を受けた一塁手がベースをまたいだことからセーフ、同点になり、直後に悪夢の逆転サヨナラ負けを喫した。

“甲子園の魔物”はちょっとした心の隙も見逃さない。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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