世界最悪のキリスト画修復、お婆さんが地元の「救世主」になっていた! 「観光地になり、街はフィーバーに」【あの人は今】

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開き直るセシリア

 この12年の間に、ボルハの町では何が起こっていたのか。ヨーロッパ事情に詳しいジャーナリストの坂井明氏が解説する。

「修復を行ったセシリア氏はボルハに生まれ、問題の壁画がある教会に通う敬虔(けいけん)なカトリック教徒でした。彼女は、体に障害がある息子の介護に多くの時間を費やし、教会のミサに参加すること以外、人生の楽しみは“絵を描くこと”くらいだったといいます」

 現地の報道によれば、素人画家であったセシリアが“修復”を行った言い分は、こうだ。

〈教会内部のうだるような暑さとひどい湿気で、既に始まっていた壁画の傷みが一気に進むんじゃないかと心配したんです。このまま放置して夏休みに出かけたら、帰った時には絵が取り返しのつかない状態になっているのではないか。それで「私が今、やらなくては」と作業にとりかかったのです〉

 もちろん、セシリアとて、壁画の修復の出来に満足していたわけではない。

〈私の唯一の過ちは作業の途中、油絵具の乾く時間を利用して2週間のバカンスに出かけてしまったこと。町に帰ってきたら大騒動になっていて、私は教会内の壁画に近づくことさえ禁止されてしまったのです。修復作業はまだ途中で、あのまま続けさせてもらっていたら何の問題も起こらなかったはずですよ〉

ボルハの街に観光客が溢れるフィーバーに

 間違いなく言えるのは、セシリアが“悪意の修復人”ではなかったということ。だが、いくらキリスト教が「博愛」の精神を説くからといって、ここまで見事に開き直った「素人修復人」を、そう簡単に許せるものではあるまい。

 実は、セシリアが地元で厚遇を受けるに至った背景には、きわめて俗物的な「損得勘定」が働いていたのである。

 坂井氏が続ける。

「この珍騒動が話題になったことで『修復された壁画を実際に見てやろう』という野次馬がスペイン国内ばかりか世界中からボルハに集まったのです。結果、人口5000人ほどの田舎町には、騒動直後のわずか4カ月の間に4万6000人もの観光客が訪れたといいます」

 それまで「観光客」とは無縁だったボルハの住民たちが、この商機を見逃すハズもない。

「ボルハにあるレストランや喫茶店、居酒屋は、連日の大繁盛。騒動後に店舗数を増やして事業を拡大した飲食店店主もいるそうです。壁画目当ての観光客が殺到した教会は入場料を徴収し、地元慈善団体に5万ユーロを寄付。また、修復された〈この人を、見よ〉のロゴ入りボールペンやマグカップ、ぬいぐるみにワインまで発売して、教会の懐は大いに潤った。さらに、ボルハの町は壁画の模様をあしらった宝くじまで発売する始末で、空前の観光フィーバーとなったのです」

セシリアは観光局長に

 当初は「取り返しのつかない過ちを犯した」と白眼視されていたセシリアだったが、世間とはしょせん、現金なもの。彼女への視線は、この観光フィーバーによって様変わりした。

「セシリア氏は騒動後ほどなくして、ボルハの観光局長の肩書を与えられ、テレビ番組の特別ゲストに招かれるなど、下にも置かぬ扱いを受けることになりました。13年8月には、セシリア氏と教会との間で、関連グッズの売り上げに対して発生する著作権使用料のうち51%を教会が、残り49%をセシリア氏が受け取るとの合意も成立。セシリア氏はすっかり『町の救世主』となったのです」

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