「“俺、墓がないんだよ”と呟いた元夫を納骨できた」「ペットと入れるお墓も」 コロナ後のお墓のトレンドとは
僧侶なしで墓じまい
大阪市内に、誰の骨でも受け入れ、骨で10年毎に「骨佛(こつぼとけ)」をつくる一心寺がある。理想的だが、コロナ禍に希望者が増えすぎ、「新骨のみ」の受け入れに変わり、諦めた。そこへ石材店担当者が「この頃、四天王寺さんが人気ですよ」。え? あの聖徳太子が建立したと習った古刹が? 聞けば、「納骨総祭塔」という名の合同・合祀墓が、昭和20年代からあるとのこと。納骨・回向料1霊1万5000円~。年間管理費不要。金額的にも申し分なく、すぐに決めた。
「22年8月8日が『墓じまい』の日でした」。陽子さんが言う「墓じまい」は、最後のお参りを指す。一江さん、東京在住の長女と3人で赴いた。僧侶は頼まず、従って「抜魂法要(墓石から魂を抜くための読経)」なし。石材店担当者が墓前に小さな机と焼香台を置いてくれたので、焼香をして手を合わせた。所要時間は約5分。「いいお天気の日で、そよ風に木の葉の揺れる音がBGMでした」と一江さん。墓石の撤去等は後日に業者が行い、立ち会わなかった。
「数日後、担当者に骨壺が六つ入っていたと聞かされ、びっくり。主人の両親までは想定内でしたが、あと、名前も知らない方も入ってらしたんですね。霊園とお役所に出す、故人の生年や没年などの記入が必要な改葬許可申請書などを6人分書かなければならず、それがものすごく大変だった。頭がしっかりしていた70代でやっておくべきでした」
四天王寺への納骨は難なく済み、「肩の荷が下りた」としみじみ。納骨後、四天王寺へ参ったのは1回だけ。
「リビングの主人と息子の写真に、毎朝『おはよう』って。それで十分です」
集落ごと合同墓に改葬
改葬の多くは「地方から都会へ」だが、そればかりではない。農村地域の集落の全戸が墓じまいし、新たに造った合同墓に改葬したケースも紹介したい。
京都市の北西30キロほどの山あいにある京都府南丹市園部町の口司(こうし)地区。約70戸全てが曹洞宗佛名寺の檀家だ。境内に、20年、高さ約2.5メートルの「合祀塔墓」が立った。
「10年にこの寺へ来て、檀家回りを始め、『墓を守るのが難しくなりそう』という声を何軒かから聞いたのが、そもそものきっかけでした」
と住職の森屋徹全さん(59)が振り返る。
この地区には二つの集落があり、墓地は3カ所あったが、少子高齢化が進み、65歳以上の割合が約42%に。跡継ぎのいない家が増えていたのだ。寺の役員らの賛同を得た後、19年から全檀家を回り「合祀墓を建てるので、みんなが墓じまいして、移ってこないか」と提案した。
「イメージできない」と訝(いぶか)しむ向きもいたが、跡継ぎが減っていく中、墓地の草刈りなどの負担が重い現実があり、説得力のある案だった。
墓じまい費用は6万円ぽっきり
合祀墓の建設費用800万円は、森屋住職と檀家の代表らで捻出。各家の墓じまい費用は、石材店の協力で6万円ぽっきりに。合祀墓に無料で入れ、「永代にわたって供養する」と約束した。
「それを可能にするために、檀家以外からの納骨も受け付けることとしました」
と森屋住職。といっても、都会並みの額では希望する人などいないと、「4霊まで納骨料6万円」「存命の家族分を含め永代供養料8万円」と破格に設定した。
結果、地区にある二つの集落のうち、下口司集落は全檀家20軒が、もう一つの集落でも約半数が合祀墓にすぐさま移った。さらに、都会に改葬していた遺骨が「掃除をしなくていい、故郷の墓に入れるなら」と戻ってきたケースもある上、檀家以外の納骨もひっきりなしだ。
取材は5月28日の午後4時半からだったが、「東大阪市在住の60代の男性が、出身の富山の墓をしまい、6人分を納骨に来て、今、帰られたばかり」とのこと。春秋の彼岸と盆に行う合同法要は、檀家ら50~80人が集う。
檀家役員の一人、西田安夫さん(75)が「あのままでは、やがて取り返しのつかないことになったやろな。ベストな方法やった」と話した。
墓は、「今」を映す鏡である。核家族化が進んだのは半世紀も前だ。今では生まれた土地に住み続ける人の方が少ない。墓の形の変化は、多様化する家族の形と人々の生活感のリアルからずいぶん遅れてやってきた。「墓じまい」「継承不要」「合同」がキーワードか。どんな形にせよ、当事者が悔いのないことが肝要なのだ。
前編「『クラシックカーの隣でガレージ葬』『15万円で済む“小さなお葬式”も』 コロナ後の葬式、最新事情をレポート!」では、多様化が進み個人に合わせてアレンジが可能となってきたコロナ以降の葬式事情について紹介している。
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