「部下や仲間がどんどん死ぬので、悲しいという感覚がなくなっていた」…玉砕前の硫黄島で零戦パイロットが敢行した決死の爆撃

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第1回【ご飯がハエで真っ黒、大量の蚤、異様なガスの臭い…「硫黄島」で零戦パイロットが見た地獄】の続き

 クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」(2006年)のヒットにより、若い世代にも比較的よく知られている「硫黄島の戦い」。1945年2月16日から1カ月余のあいだ、東京から南に約1200キロメートルの位置にある硫黄島で繰り広げられたこの戦いでは、約6万人の米兵を迎撃した2万余名の守備隊が玉砕した。その約半年前、1944年6月末から7月にかけての空戦でも、硫黄島から出撃した零戦隊が壊滅している。その空戦を辛くも生き延びた零戦パイロットたちが見た地獄の戦場とは。

(全2回の第2回・「週刊新潮」2007年1号 「特別読物 『零戦パイロット』が見た地獄の戦場『硫黄島』」をもとに再構成しました。文中の年齢、肩書、年代表記等は執筆当時の17年前のものです)

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飛行場を正確に狙った攻撃

 この日の攻撃は前日より規模を増し、グラマンと艦上爆撃機約160機の大編隊が襲い掛かってきた。

「我々は45機で迎撃しましたが、20機近い敵機を墜としたものの、こちらも約半数がやられてしまった」

 と角田氏も回想する。

「しかも、この日の午後には敵の艦隊が硫黄島に近づいてきて、猛烈な艦砲射撃を受けました。防空壕も満足になかったので、その辺りの灌木の茂みの中に身を伏せて攻撃が終わるまで耐えるしかありませんでした。敵艦は島から数十メートルぐらいまで接近しており、敵の巡洋艦が発射する弾が見えた。砲弾は発射されると弧を描いて上がりますが、後半はほとんど垂直に落ちてくるのです。

 この時の射撃は、硫黄島の2つの飛行場を正確に狙って撃ち込んできた。おかげで飛行場は大きな穴だらけになってしまった。地上にあった施設や航空機は、すべてこの砲撃で破壊されてしまったほど凄いものでした」

映画「硫黄島からの手紙」は物足りない

 岩下氏によれば、

「そりゃもう、雨あられのように弾が落下してきて、島全体が吹き飛んでしまうような感じでした。我々は慌てて摺鉢山の反対側に逃げて、岩陰などに身を隠した。映画『硫黄島からの手紙』は見ましたが、米軍の艦砲射撃のシーンは、やっぱり実体験している私からすれば物足りない。あんなものじゃありませんでした」

 硫黄島の空戦にも参加した、撃墜王で有名な零戦パイロットの故・坂井三郎氏は、自著『大空のサムライ』の中で、

〈塹壕の中は血で真っ赤だった。足がとんでいる者、首がすっぽりととれている者、とうていまともに見るに忍びないひどさだ〉

 と書いている。さらに野戦病院の様子について、

〈病室には、足の踏み場もないほど、死体や重傷者が収容されていた。(中略)誰ひとりとして助かりそうな者がいない。(中略)顔色はもう紫色に変わっている。右足を付け根からふっとばされ、腸がとびだしている。そこへハエが真っ黒にたかっているのだ。私たちにできることは、そのハエをおってやることだけだった〉

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