ご飯がハエで真っ黒、大量の蚤、異様なガスの臭い…「硫黄島」で零戦パイロットが見た地獄

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7月3日の大空襲と翌日未明の大編隊

 蚤が多いのにも辟易したという。

「なんであんな人も動物もいないところに、こんなに蚤がいるんだろうと不思議でした。島では千鳥飛行場のそばの丘の上にバラック建ての兵舎があり、そこで士官も兵隊も一緒に寝起きしていましたが、夜、寝床に就くと体のあちこちが痒くなって、見ると無数の蚤がくっついているんですよ。あれは本当に堪らなかった。敵の空襲がいつ来るかという状況でしたし、寝床の蚤も酷くてほとんど硫黄島では眠れなかった」

 だが、硫黄島に到着したのも束の間、すぐに激しい戦闘に巻き込まれた。7月3日の大空襲で、301空は31機出撃し17機が未帰還となった。さらに、「7月4日未明、突然“父島上空に敵大編隊!”の緊急電が入ったのです」と岩下氏は話す。

「当時の日本のレーダーである電波探信儀は性能が悪く、かなり敵が接近してくるまで分からないような代物でした。案の定、この日も敵機発見の報を受けた時点で、もう敵機は硫黄島に迫っていた。敵機の機銃掃射を受けながら、その間をすり抜けてなんとか離陸したのです。まだ夜明け前で真っ暗でしたが、私は藤田隊長機に遅れないようついていきました。高度を上げるために少し島を離れ、再び硫黄島の上空に戻ると、飛行場など我々の施設が敵機の猛爆撃を受けていて、あちこちから爆炎や黒煙が上がっている最中でした」

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 前日より規模を増したこの攻撃は、硫黄島の飛行場や施設、航空機をほぼ破壊した。度重なる空襲と艦砲射撃で壊滅状態になった航空隊は1944年7月6日、生き残った搭乗員に帰還命令を出す。第2回【「部下や仲間がどんどん死ぬので、悲しいという感覚がなくなっていた」…玉砕前の硫黄島で零戦パイロットが敢行した決死の爆撃】では特攻作戦への切り替え、最後に敢行された決死の爆撃などについて伝える。

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