ご飯がハエで真っ黒、大量の蚤、異様なガスの臭い…「硫黄島」で零戦パイロットが見た地獄

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青い海がとても綺麗だった

 同様に、6月21日に硫黄島へ向け出発した252航空隊の23機も、やはり24日の空戦で12機を失い、隊長が戦死していた。

「私は6月30日に13機の零戦で硫黄島へ向かいました。隊長が戦死されたと聞いて、何かその戦場に、今までにない不安を感じました。もしかしたら、今回が最後の戦闘になるのではないか、硫黄島から帰れないかもしれない、そんな死の覚悟がありました」

 そう話すのは、252航空隊の角田和男氏(88)。昭和9年に乙5期予科練入隊。漢口、ラバウル、ソロモンなどの空で戦い抜いてきた。

 角田氏(同少尉)が続ける。

「でも、私の飛行は晴天だったこともあり、青い海がとても綺麗だったのを覚えています。ラバウル勤務以来の南洋でしたからね。約4時間の飛行で、独特の形をした山がある島が見えた。それが硫黄島でした。遠くから見ると綺麗でした。それで、摺鉢山の近くにある千鳥飛行場に着陸したのです。この時に、滑走路の脇に『八幡大菩薩』と書かれた大きなノボリが立っていたのが目に焼きついています。それを見たとき、何とも嫌な感じを受けた。そんな神頼みみたいな精神で戦意を鼓舞しなくてはならないほど、日本の戦況は悪くなっているのか、と思った」

ご飯を盛るとハエで真っ黒に

 硫黄島に到着したパイロットたちがまず目にしたのは、劣悪な環境だった。

「今までいたことのあるラバウルやソロモン諸島の基地なんかに比べて、最悪でした。ハエの多さも忘れられません。中国や南方の戦線にもハエは多かったのですが、そんなものの比じゃなかった。初めて硫黄島の飛行場に着陸したときも、風防を開けていたらハエがどんどん飛び込んできて顔に当たるぐらいでしたから。ご飯をドンブリに盛ると、本当にハエで真っ黒になってしまう。1カ月もいると、みんな垢と日焼けで真っ黒になり、髭も伸び放題で熊みたいになるんです」(角田氏)

 火山島である硫黄島には、飲料水がなく、雨水を溜めるしかない。むろん、風呂などあるわけもない。

 先の岩下氏も振り返る。

「硫黄島で思い出すのは、あの硫黄ガスの何ともいえない臭いです。その高温ガスが島のあちこちからシューシューと噴き出しているものだから、臭くて堪らない。ガスが出ている地面の岩の間に飯盒を置いておくとご飯が炊けるのですよ。物資の補給も満足にできていないので、生野菜などはなく、いつもコンビーフの缶詰や冬瓜の味噌汁のようなものを食べていたのを思い出します」

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