夏の甲子園、1982年の「幻の完全試合」 史上初の“快挙”はこうして消えた!

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 夏の甲子園大会では、これまで22人の投手が計23回ノーヒットノーランを記録しているが、完全試合は1度も達成されていない(センバツでは2人が記録)。そんななかで、9回2死までパーフェクトに抑えながら、27人目の打者に死球を与え、惜しくも快挙を逃した男がいる。1982年の佐賀商・新谷博(元西武、日本ハム)である。【久保田龍雄/ライター】

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「6回頃から意識していた」

 早稲田実のエース・荒木大輔の“大ちゃんフィーバー”が社会現象となり、池田の“やまびこ打線”が圧倒的な破壊力を見せつけた同年夏、佐賀商は県大会で34イニングを自責点ゼロ、31奪三振の右腕・新谷とチーム打率.418の強力打線を看板に、3年ぶり7度目の甲子園に乗り込んできた。

 初戦は大会2日目の第1試合、相手は初出場の青森県代表・木造だった。

 観客もまだまばらな早朝の甲子園で、プレーボール直後の1回表、新谷は木造の先頭打者・兼平利仁にいきなり鋭い当たりを打たれ、ヒヤリとさせられたが、中飛で切り抜ける。ここから本来のリズムを取り戻し、2番・長谷川辰男を投ゴロ、3番・秋元寿逸を捕飛と3者凡退に抑えた。

 その裏、佐賀商は3番の捕手・田中孝尚(元阪急)の大会1号2ランなどで3点を先制し、早くも試合の主導権を握る。

 女房役の援護弾で勝利を確信した新谷は「これで明日のスポーツ新聞の1面は田中だよ。たった一振りで。ピッチャーは大変だ。パーフェクトとか、ノーヒットノーランしないと、1面になんかなんない」(渡辺勘郎著『27人目でついえた完全試合』日刊スポーツ出版社『思い出甲子園・ヒーローと呼ばれたエースたち』収録)と冗談を言ったが、この時点では、それが現実のものになろうとは、知る由もなかった。

「ジャンボ(田中)が打ってくれたので、伸び伸び投げた」という新谷は、2回以降、伸びのある直球に大小のカーブとフォークを交えながら、3回に3者連続三振を記録するなど、1人も走者を許さない。その後も佐賀商は、4回に新谷自らのスクイズで1点、5回にも3点を加え、リードを広げた。

 完全試合は本人も「6回頃から意識していた」。ベンチのチームメイトも回を追うごとにこの話題を避けるようになり、誰かが走者を1人も出していないことを口にしかけると、「黙っとけ、黙っとけ」とたしなめられた。7、8回も新谷は3者凡退。夏の大会史上初の完全試合まであと1イニングとなった。

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