アジアの歌姫「テレサ・テン」が5年間来日できず…“日本の父”が語った「パスポート事件」の真相

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勾留は7日間

 テレサのことを知らぬ者などいない台湾で、彼女が台湾以外のパスポートを呈示したとなれば、足がつくに決まっている。事実、日本へ“密入国”を果たしたちょうどそのおり、東京の入管事務所あてに、次のような情報がもたらされた。

〈偽造インドネシア旅券で台湾入りしようとして入国を拒否されたテン・エリーなる女性が、日本へやってきた可能性がある〉

 入管が調べたところ、テン・エリーことテレサ・テンが母親らと、東京ヒルトンホテル(現・ザ・キャピトルホテル東急)に投宿していることがわかった。

「17日の夜8時頃に、『入管がテレサを連れて行った』という電話を彼女のお母さんからもらい、驚いたのを覚えています。テレサはそのまま港区港南の入管事務所に勾留されてしまいました。外国人が何人もいる相部屋で格子つき。ただ、不法行為とはいえ、彼女の不注意と国交の事情あってのことだから、2、3日で解放されると楽観していたのです」(同)

 意外にも勾留は7日間に及んだが、その間、舟木部長の頭を悩ませたのは、“彼女のその後”のことだった。

「日本の当局は『日本国外なら何処へでもどうぞ』というスタンス。でも、台湾側は彼女の身柄引き渡しを強く要求していました。となると処罰されるし、海外に出ることもできなくなる。もちろん歌手生命にも関わる。とにかく台湾だけは避けなければと……。日本の外務省など関係部局と協議した結果、ロサンゼルスに決めたのです」(同)

 そして2月24日、傷心の歌姫は機上の人となった。

パスポート事件で日本を離れ“成長”した

 ――事件から1年後には条件付きで台湾帰国を許された彼女だったが、再来日を果たすまでには、5年の歳月を経ねばならなかった。

「ポリドールとの契約は切れていましたが、そこから分かれた会社に私が在籍しており、再契約をすることができた。日本からの国外退去処分の期間は1年でしたが、時間がかかってしまいましたね」(同)

 その後に発表した「つぐない」「愛人」は150万枚を売り上げ、復帰三部作の掉尾を飾る「時の流れに身をまかせ」は200万枚の大ヒットを記録した。

「昭和49年にリリースした『空港』以降、彼女は取り立てて言うほどのヒットに恵まれていなかった。いわば1.5流だったテレサが、30歳を迎えてからの活動で確固たる地位を築いた。パスポート事件で日本を離れて、“成長”することがなかったら、代表曲は誕生していなかったかもしれません」

 女の幸・不幸を歌い上げたテレサは、その両者が隣り合わせにあることを、身をもって知っていたひとりなのである。

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