アジアの歌姫「テレサ・テン」が5年間来日できず…“日本の父”が語った「パスポート事件」の真相

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 禁じられた愛や内緒の恋には、哀しみと抗いがたい魅力とが同居している――。たどたどしさを孕んだ外国人歌手の日本語と歌から、このことを教えられた人も少なくないだろう。平成7年(1995)、42歳の若さで死去したテレサ・テン。テレサが“日本の父”と慕った人物はかつて、彼女の転機は20代の時に経験した「パスポート事件」だと語っていた。後に「雌伏5年」を強いられることになった事件の真相とは。

(「週刊新潮」2015年8月25日号別冊「『黄金の昭和』探訪」より「『スーパースター』運命の一日 テレサ・テン:雌伏5年を強いた偽造パスポート事件の真相」をもとに再構成しました。文中の年代表記等は執筆当時のものです。文中一部敬称略)

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テレサが犯した“うっかりミス”

「あの事件は間違いなくテレサの転機。自分を見つめなおすきっかけになったんですから」

 と話すのは、そのころテレサが所属していたレコード会社「ポリドール」の編成部長・舟木稔氏(82)だ。彼とテレサの付き合いは、彼女が20歳の時から亡くなるまでの23年間。彼女をして“日本のお父さん”と言わしめた人物である。

 そう、彼女の運命の一日を物語ろうと思えば、昭和54(1979)年2月17日をおいてほかにはない。朝日新聞(同年2月19日付)は夕刊の社会面において、「テレサ・テン偽造旅券で入国」の見出しで、大要こう伝えている。

〈テレサ・テン(24)が、香港で買ったインドネシアの偽造旅券を使って入国していたことがわかり、法務省東京入国管理事務所は、彼女を収容して事情を聞いている。2月14日、新曲レコーディングのため香港発の中華航空で羽田に着いたが、このとき使用した旅券が偽造とわかり、テレサも「台湾政府発行の旅券のほかに必要な渡航証明が手に入らなかったため、香港で、2万香港ドル(当時のレートで約80万円)を払ってインドネシアの旅券を買い入国した」と認めた〉※編集部註:旅券(パスポート)自体はインドネシア政府が発行したものだったといわれている

 そこに至る軌跡をたどると――1月10日、台湾を出国して香港に入国したときには、いずれも台湾のパスポートを使っている。現地での仕事を終えた翌月13日、台湾帰国の際に、テレサは“うっかりミス”を犯したのだ。舟木氏が逐一を振り返る。

なぜインドネシアのパスポートだったのか

「台北で母親と落ち合って日本へ来る予定でした。台湾のパスポートを使って香港を出国したまではよかったのですが、台北の空港で、誤ってインドネシアのバスポートを出してしまう。『しまった!』と慌ててこれを収め、香港へ舞い戻った。そして14日、そのインドネシアのパスポートを使って来日したのです。ええ、何事もなく入国できました」

 問題のパスポートは、テレサの写真が貼付された「テン・エリー」名義。在ジャカル夕日本大使館で取得した日本ビザもくっついていた。しかし、よりによってなぜインドネシア人に成りすます必要があったのか。

「台湾は、日米のみならずほとんどの国と国交を断絶していた。だから、“台湾のパスポート”だけでは諸外国への出入りがとても不便。そのうえビザも取らなければいけないので、時間がかかって仕方がない。そこへいくと、インドネシアのパスポートは手に入れやすいし、それで出入国が楽になるから重宝されていましたよ」(当時を知る関係者)

 舟木氏がこれを受ける。

「実際、あの頃の台湾の芸能人や海外での仕事が多いビジネスマンは、台湾だけでなくインドネシア等のパスポートも持っていた。国交のない国へ入るために、インドネシアの方を使うことがよくあったのです」

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