大雪で店がぺしゃんこに…「ニトリ」創業者は“キズ物になった家具”をどう売り切ったか
似鳥氏が大ピンチをチャンスへと変えた方法とは
そんなアイデアマン(?)の似鳥さんが、のちに大企業となる家具センターの1号店を北海道札幌市の北区に開業したのは1967年のこと。
この1号店のネーミングがまた、アイデアに満ちたものでした。その名も、「似鳥家具卸センター北支店」。
このネーミングについて、似鳥さんは、こんなふうに言っています。
「まず、店名のなかに、『卸』と入っていることで、お客さんは『値段が安い』というイメージを持ってくれる。次に『センター』と入っていることで、勝手に大きな店を想像してくれる。最後に北支店とあることで、『いくつかある支店の1つなんだな』と思ってくれる」
実際には小さな店舗だったのですが、お客さんをダマす……ではなく、お客様のイメージを膨らませる工夫を店名に盛り込んだのですね。
ちなみに、同社の家具が安いのは、自社グループ内で「海外原材料の仕入→現地生産→輸入→店舗販売→商品配送」までを行なっているから。つまり、間でマージンを取る業者
がいないので、お買い得価格を実現できているのです。
さて、そんな似鳥社長にとって大きなピンチとなったのが、日本初のエアドーム店舗を開店したときでした。新品の家具をそろえて、「あとは開店するだけ」と、そこまで用意したところでの大雪。エアドームの屋根の崩壊です。
(問題)創業者の似鳥昭雄さんは、このピンチをいかにして乗り切ったでしょう?
(ヒント:あるアイデアで、キズ物になった家具をすべて売り切ることに成功しました。)
・・・
・・・
・・・
(答え)「開店記念 ハンパ品 キズ物セール」と宣伝して完売させた。
普通の人なら、キズ物になった家具を前に茫然と立ち尽くすところでしょう。しかし、オール1を取ってもめげない似鳥さんは、「開店記念 ハンパ品 キズ物セール」と称して、お客様を呼び込むことに成功するのです。
このアイデアは大成功。用意していたキズ物家具(もともとは新品でしたが……)は、すぐに売り切れに! 急きょ、他の店舗からも、在庫品になってしまっていた、キズ物をかき集めて、すべて売ってしまったのでした。
世の中の多くの発明品が、失敗や、ダメになってしまったものの再利用から生まれていることからもわかるように、「ピンチのときに、転んでもただでは起きない!」というタフな精神と、やわらかな発想がピンチをチャンスに変えるのです。
(ポイント)ピンチは、見方を変えれば大きなチャンス。
***
この記事の後編では、引き続き『一流は何を考えているのか』(Gakken)より、徳川家康と石田三成が危機をいかにして乗り越えたか、実際のエピソードをもとにご紹介する。