「人によって態度を変えるな」という説教が罪作りな理由 ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか

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 勘違いや思い込みによって人間関係が悪化したり、トラブルを起こしたりすることは珍しくない。ベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』の著者で臨床心理士の宮口幸治さんは、医療少年院で数多くのそうしたケースを目の当たりにしてきた。新著『歪んだ幸せを求める人たち ケーキの切れない非行少年たち3』で紹介される少年の例は衝撃的だ。

 人間関係で悩みを抱えたこの少年は、自ら命を絶とうと考える。問題はその先だ。彼には自分をかわいがってくれる祖母がいた。その祖母を悲しませたくない。強くそう思った少年は、「おばあちゃんを悲しませたくない」という気持ちから、祖母を殺そうとしたというのだ。

 幸い、この行為は未遂に終わり、少年も反省を示したというが、「勘違い」「思い込み」の怖ろしさを示す一例といえるだろう。

 そんなおかしな過ちを犯すはずがない――そう思っている人であっても、実は「勘違い」「思い込み」で失敗することは往々にしてある。

 宮口さんが指摘するのは「良かれと思って」の罠だ。何気なく、善意で口にした言葉が相手に悪いように作用することが多いのだという。

 宮口さんが同書で指摘している「無責任な言葉かけ」の実例を見て、肝を冷やす方もいるのではないか……。(前後編記事の前編・以下、『歪んだ幸せを求める人たち ケーキの切れない非行少年たち3』より抜粋、再構成)

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「いい人をやめよう」

「いい人をやめよう」――このキャッチコピーはよく見聞きしますが、ここでの“いい人”は、“誰とでも仲良くしようとする”“人の頼みがなかなか断れない”“周りに気を遣いすぎる”“自分が我慢してしまう”といった振る舞いが想定されています。そこで、キャッチコピーに続いて「嫌なことはしなくていい」「もう我慢は止めよう」と続いたりします。

 これは典型的な無責任な言葉かけの一つだと感じています。もし誰かがこの言葉を額面通りに受け取って実行してしまうと、大変なことになります。学校や職場で“仲良くしない人を作る”“人の頼みをすぐに断る”“周りに気を遣わない”“何ごとも我慢しない”“嫌なことはいっさいしない”といった子や人がいたらどうでしょうか。身勝手な奴だと思われ、多くの敵を作り、おそらく周囲との人間関係が崩れ、本人はもっとしんどくなり、学校や職場には居づらくなってしまうでしょう。

 ある程度我慢してでも“いい人”と思われている方が、実は幸せなことも多々あります。周りに気を遣ってくれる人は、殺伐とした職場では安心な存在です。みんなが嫌がることでも引き受けてくれる人は、みんなから感謝されます。自分を抑えて他者を立てる人は、尊敬されます。

 みんなお互いを観察し合っています。そういった、ちょっとしたことの積み重ねがみんなの記憶に残り、いわゆる“人望”につながっていく気がします。私は大学勤務の前は法務省で勤務していましたが、かなり上の方まで出世していった人たちは結局のところみんな温厚であり、自分を抑えて我慢できる人たちでした。誰からも信頼されていて、どちらかというと“人が良すぎる”人たちでした。

 逆に「あの人はいい人ではない」との烙印を押されてしまったら、通常はなかなかそこから抜け出すのは難しいでしょう。「いい人をやめよう」は、その言葉を真に受けた人物を不幸にもしてしまう無責任な言葉かけなのです。

「みんなと同じでなくていい」

 近年、多様性(ダイバーシティ)という言葉をよく聞きます。概して、さまざまな特性や特徴をもった人々の存在を指しますが、その言葉が使われる際には、多様性を尊重することが前提にあると思われます。そのこと自体はなにも問題はないのですが、それを“みんなと同じでなくていい”といった解釈をされる方々もおられます。そこからさらに進んで、勉強が苦手な子や、その保護者に対して、「みんなと同じように勉強できなくてもいい」、さらに「勉強が苦手なのも個性」だとアドバイスする方もおられます。これも無責任な言葉かけに感じます。

 できないことを受け入れるのは周囲の大人でなく子どもたち本人です。勉強が苦手な子に「みんなと同じでなくていい」と声をかけるとしたら、そして保護者にも「様子をみましょう」と説明するとしたら、いったいどのような根拠があるのかが気になるところです。

 現在、私は某市で教育相談を行っていますが、母子で相談に来た境界知能(IQがおおむね70~84)の、ある小学校高学年の男の子は、とても勉強が苦手でした。相談の中でその子は私に「僕は馬鹿なのかもしれない。弟からも馬鹿だと言われて、どっちが兄か分からない」と言いました。彼によると三つ年下の弟の方が賢いそうです。そんな子に対して「様子をみましょう」という言葉をかけるだけだとしたら、場合によっては、その子のもつしんどさに寄り添うことを先延ばしにしているわけで、むしろ支援者側に問題があるかもしれません。

 個人的には“賢くなりたくない子はいない”と思っています。そして、やってみる前から“できないこと”を多様性と見なしてしまうことには危機感を覚えます。

 さまざまな手を尽くしても勉強がどうしてもできない子には“させてはいけない努力”もあるとは思います。しかし、もし分かりやすい勉強方法などをまだ十分に試していない段階で、「みんなと同じでなくていい」といった無責任な声を子どもにかけるとしたら、声をかけた人はその子の力を十分に引き出せないばかりか可能性を潰してしまっているかもしれません。その場合、何よりも被害者は子どもです。

「子どもには好きなように生きさせるべきだ」といった言葉かけもある意味、無責任と感じます。たいていの子どもにとって勉強は辛いもので、したくないものです。子どもは勉強をしなくてもいい口実を与えられると、しない方に傾く可能性があります。そこで、もし好きにしていいと言われてゲームやスマホばかりして易きに流れてしまった場合、いったい誰が責任を取れるのでしょうか。最低限、選択肢の幅を最初から大人が狭めないように寄り添い、本人の好きなように生きさせるのはそれからでも問題はないはずです。

「少し休んだら?」

 忙しくしている人に対して「少し休んだら?」「もっと手を抜いたら?」という声かけもよく見聞きします。相手を気遣う言葉かけとは思うのですが、それを真に受けて、忙しいのに本当に休んでしまったら、もっとしんどくなるのは明白です。

 私が医学部6年生の頃、医師国家試験に向けて寸暇を惜しんで勉強していたときの話です。合格率こそ9割近くあるのですが、6年生にもなると、あと少しで医師になれるので医学生はみんな死に物狂いで勉強し始めます。1割が落ちるとなると誰もが決して気が抜けません。覚える量が膨大で、大学受験の比ではありません。おそらく人生で最も過酷な試験だったと思います。

 そんな状況下で同級生のある友人が、当時付き合っていた女性の両親から国家試験の半月前に旅行に誘われました。「勉強ばかりで大変だからたまには気分転換を」と言われたそうです。二人は親公認で付き合っていたので、その友人と彼女、そしてその両親の4名で1泊2日の旅行に行ったのです。彼は「こんな忙しいときに……。でももう予約したっていうから行かないといけない」とかなり苦しそうにぼやいていました。普通に考えても、例えば大学受験の共通テスト前や2次試験の半月前に旅行に誘う親などほぼいないでしょう。その彼女の両親には悪気はなく、よかれと思って誘ったのでしょうが、万が一それで彼が国家試験に落ちたらどうするのでしょうか。その後、彼は無事に国家試験には合格しましたが、両親に旅行を延期するように提案するなど彼への配慮ができなかった彼女に対しては愛想をつかしたのか、その後、別れてしまいました。

「人によって態度を変えるな」

「相手によって態度を変えてはいけない」と子どもに教える大人や教師がいます。相手の顔色を見ながら態度を変える子と聞くと、ずる賢い子のように感じられる人もいるでしょう。そこにはおそらく、分け隔てなく平等に人と接することは善であるという規範があります。

 しかし、相手によって態度を変えられるのは処世術の一つです。大人であれば、上司など立場が上の人や偉い人には頭を下げますし、場合によっては嫌いな相手や苦手な相手にも笑顔で接することがあります。むしろ子どもが相手や状況によって、敬語を使ったりして態度を変えることができるとしたら、それは場の空気を読むことができる高い能力の証です。普段はさっぱりでも参観日で親が見に来てくれたら積極的に手を挙げる子は、場の空気を理解し、親にいいところを見せようと頑張れる子どもです。「誰かが見ているときだけ張り切って……」と批判する教師がいたら、それは子どものやる気をそぐ的外れな見解でしょう。むしろ大切な人のために頑張れたと褒めてあげるべきです。

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 むろんこうした言葉が本当に救いになる場面もある。しかし相手の状況を考えずに口にするとかえって事態を悪化させることが多いのは肝に銘じたほうが良さそうだ。

 後編〈「要領のいい人はずるい」という安易な思い込みが不幸のもとになる ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか〉では、「失敗を恐れるな」といった言葉の問題点や「要領のいい人はずるい」といった思い込みの問題点について紹介する。

宮口幸治(みやぐち・こうじ)
立命館大学大学院人間科学研究科教授。医学博士、臨床心理士。京都大学工学部を卒業し建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部を卒業。児童精神科医として精神科病院や医療少年院等に勤務、2016年より現職。一般社団法人日本COG-TR学会代表理事。

デイリー新潮編集部

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