戸郷翔征、東克樹、丸佳浩…意外と知られていない「夏の甲子園」での熱闘をプレイバック!

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甲子園での悔しさをバネに成長を遂げたDeNA・東克樹

 春夏併せて3度甲子園に出場しながら、持てる力を発揮しきれなかったのが、DeNAの新エース・東克樹である。

 愛工大名電2年時の2012年に春夏連続出場も、花巻東・大谷翔平、大阪桐蔭・藤浪晋太郎とともに“高校ビッグ3”と注目された1年先輩・浜田達郎(元中日)がエースだったことから、いずれも甲子園では登板機会なし。

 翌13年夏、最上級生になった東は、愛知県大会6試合40イニングで四球はわずか3という抜群の制球力を見せ、2年連続で甲子園にやって来た。チームは平成以降、夏の甲子園で7大会連続初戦敗退中とあって、東の左腕に不名誉な記録の阻止が託されたのは言うまでもない。

 1回戦の相手は聖光学院。東は最速140キロの直球とスクリューボールを低めに集め、聖光打線を5回まで2安打1失点に抑える。5回無死一、三塁のピンチでは、スクイズ失敗の投飛を自ら処理し、三重殺を成立させた。

 だが、“1勝”への重圧感からか、中盤以降、肩が重く感じるようになり、ボールにも切れがなくなった。3対1の6回には、代打・酒谷遼に右越えソロを被弾し、1点差に迫られた。

 そして、7回2死満塁から“ラッキーボーイ”酒谷に痛恨の2点タイムリーを浴び、無念の逆転負け……。8大会連続初戦敗退は、北海(1965~92年)と並ぶ大会ワースト記録になった。

「自分の力不足。相手が上だった」と思い知らされた東は、立命館大で通算19勝と腕を磨き、4年後のドラフトでDeNAに単独1位指名された。

実は甲子園の出場経験がある巨人・丸佳浩

 夏の甲子園に3番打者として出場したのに、初戦敗退で印象が薄いのが、巨人・丸佳浩である。

 千葉経大付2年時の2006年夏、ライトを守り3番を打った丸は、千葉県大会で打率.385、2本塁打、10打点と打ちまくり、ノーシードから2年ぶり2度目の甲子園出場に貢献。「豪快な打撃が自分の持ち味。筋力には自信がある。走者が一塁にいても、絶対にかえす。早いカウントから積極的に打っていきたい」(同年8月6日付・朝日新聞千葉県版)と甲子園での活躍を誓った。

 1回戦の相手は、プロ注目右腕・大嶺祐太(元ロッテ)を擁する優勝候補の一角・八重山商工。大嶺は初回の先頭打者から4者連続三振と序盤から飛ばし、丸も初対決では三振に打ち取られたが、高めのボール球を見極められるようになると、自慢の強力打線が本領を発揮する。

 3回にタイムリーで1点を先制し、丸も右前に甲子園初安打を記録。5回にも3点を加え、試合の主導権を握ったかに見えた。

 だが、八重山商工も6回に3点、7回に1点を返し、4対4の同点に。千葉経大付は、8回に再び6対4と勝ち越したのも、つかの間、9回2死から追いつかれ、延長10回、6対9で敗れた。

 丸は5回1死二、三塁で三振、7回1死二塁で二ゴロに倒れ、5打数1安打0打点2三振。「走者をかえす」3番の役割をはたせずに終わった。

 この悔しさをバネに、翌07年春のセンバツでエースとして甲子園に帰ってきた丸は、1回戦の中京戦で完投勝利、打っても2安打1打点を記録している。

 このほか、広島・森下暢仁(大分商)とオリックスの“ラオウ”杉本裕太郎(徳島商)は1年時に控え投手として甲子園でベンチ入りも、ともに登板なし。このような事情から、2人が甲子園メンバーだった事実は、意外に知られていない。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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