「彼女も戸惑っていたと思う」…山口百恵“育ての親“が明かした、過激曲「青い果実」を歌わせた理由

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ためらいはすっかり消えていた

 出来上がった「青い果実」は、思ったとおりドキリとさせる曲だった。48年の夏を控えたある日、譜面を渡された彼女は、その気持ちを自伝『蒼い時』に書いている。

〈期待と不安の入り混じった複雑な気持ちで、書かれた文字を追っていくうちに、私の心は衝撃に打ちひしがれてしまった。(中略)『こんな詩、歌うんですか』言ったか言わなかったかは、さだかではないが、口に出さないまでも、気持ちは完全に拒否していた〉

 酒井氏が振り返る。

「たしかに彼女も戸惑っていたと思います。しかし、それを口に出すような子ではありませんでした。13歳でこの世界に入った百恵さんは、すでに強いプロ意識の持ち主だった」

 実際、レコーディングになると彼女は嫌がるどころか、むしろ生き生きと歌い上げてみせた。

〈何故だかメロディーに乗せて歌ったとたん、さっきまでのためらいはすっかり消えていた。こんな歌――と思い悩んだ時から数時間しか経過していないというのに、私はその歌がとても好きになっていた〉(『蒼い時』より)

クレームは殺到したが

 同年9月、「青い果実」がリリースされると、案の定物議をかもす。

「年端もいかない女の子にあんな歌を歌わせて」
「14歳の女の子に歌わせる内容じゃない」

 そんなクレームがラジオ局に相次いだ。主婦団体から猛烈な抗議が来たときは、酒井氏が必死で対応にあたったこともある。「性典ソング」と揶揄もされたが、話題も手伝ってオリコンのトップテンにランクインする。

「スタートが順風満帆でなかった百恵さんは、『青い果実』に出会ったことで表現力に目覚めたともいえます。そして、桜田淳子、森昌子の2人にも追いつき、人気アイドルの入り口に立てたのです」(酒井氏)

 翌年には後の夫・三浦友和と共演した映画「伊豆の踊子」が話題となり、5曲目の「ひと夏の経験」は75万枚を記録、人気歌手の地位を不動のものとする。その後も新境地をひらき続け、歌手の頂点での鮮やかな引退劇はご存じの通りだ。

 山口百恵の歌手生活はわずか8年だが、それは、十分すぎる時間だったのだろう。移り気な「時代」を相手に歌い続け、世間からの賞賛という「果実」を、しっかりともぎ取ったのだから。

デイリー新潮編集部

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