「彼女も戸惑っていたと思う」…山口百恵“育ての親“が明かした、過激曲「青い果実」を歌わせた理由
「時代と寝た女」――山口百恵の写真を撮り続けた写真家・篠山紀信は彼女をそう表現した。だが、デビューしたての頃の彼女は、野暮ったく、同世代のアイドルにも後れをとる存在だった。それを一変させた一曲が「青い果実」である。年端のいかない少女の大胆な「性」を思わせるこの曲は、14歳の新人アイドルを、時代の欲望に応える「トップスター」に生まれ変わらせた。
わずか8年間の歌手生活ながら、いまだ鮮烈な印象を残す「山口百恵」はいかにして生まれたのか。2021年7月16日に85歳で死去したプロデューサーの酒井政利氏は、彼女をスターダムに押し上げた育ての親である。生前のインタビューでは、「青い果実」こそ彼女の表現力を目覚めさせたと語っていた。
(「週刊新潮」2015年8月25日号別冊「『黄金の昭和』探訪」をもとに再構成しました。文中の年代表記等は執筆当時のものです。文中一部敬称略)
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彼女には人に訴えかける力があった
「彼女を最初に見た印象を一言で表すなら、“鈍重”というのでしょうか。一緒に彼女の映像を見たディレクターの意見も、地味とか暗いというものでした」
そう振り返るのは元CBSソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)のプロデューサー、酒井政利氏だ。昭和47(1972)年12月、オーディション番組の「スター誕生!」(日テレ系)で準優勝し、ホリプロからデビューすることになった百恵だが、周囲の評価は高いものではなかった。
当時のCBSソニーには絶大な人気を誇る南沙織や天地真理がおり、地味なイメージの彼女に対して会社をあげて応援する空気はなかった。だからこそ、自由にやらせてもらえた、と酒井氏は言う。
「百恵さんは口数が少ないんだけど、そのぶんだけニコッと笑ったときの笑顔がとても印象的なんです。暗いからこそ、たまに笑うと強い光を放つ。彼女には人に訴えかける力があった。だから、デビューを成功させようと必死でした」
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