「日本最北端のストリップ劇場」の“スター踊り子”が語る「末期がんの常連さんとの忘れえぬ思い出」
第1回【半世紀の歴史に幕を下ろす「日本最北端」のストリップ劇場 「エアコンひとつ移すだけで……」関係者が初めて明かす「閉館の理由」】からの続き。閉館のせまる「ライブ・シアター栗橋」でトリも務めた踊り子・桃瀬れなさんが語る“ストリップ劇場という小宇宙”と「常連客との淡くて濃い交流」の記憶――。(全2回の第2回)【鈴木ユーリ/ライター】
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【写真】関係者の自撮りによる「昭和の香り」ただよう老舗ストリップ劇場の“最深部”
〈8月1日~8月10日 さよなら公演 第二弾〉
エントランスに貼られたポスターには、その言葉とともに6人の踊り子の写真がならんでいた。トリを務めるのは「桃瀬れな」というロリータ顔の踊り子さんだった。
「桃瀬さんはうちにとって特別な踊り子さんなんです。いつ呼んでも貢献してくれて、劇場のためにがんばってくれた。新人時代から10年以上ずっと。だから最後にトリでうちの板に乗ってほしかった」
桃瀬さんをトリにした、劇場スタッフの小平さんの口調は熱っぽかった。
「でも本当は私、トリの“格”じゃないんです」
ステージを降りた桃瀬さんは、裸にTシャツをすっぽりとかぶった格好でインタビューに答えてくれた。
「謙遜じゃなくって、トリの格ってのは歴然とあるんです。私はロック座にいて、トリを務めるのがどれだけ大変か、ずっと見てきてるんで。私より栗橋のトリにふさわしい踊り子さんは、もっといっぱいいたはずなのに、『最後にトリで乗ってほしい』って言われて……。電話口で泣きました。号泣してました。辛い時も楽しい時も、いつも心の支えになってくれた劇場だったから」
「早く開け!」
桃瀬さんのデビューは2007年。舞台は川崎ロック座だった。
「あの頃の劇場は今よりも“冬の時代”で、ロック座だってお客さんが3人しかいないなんてこともザラだった。ステージから『私たち合コンですね』とか言って笑いを取ったり、朝の一発目なんて酔っ払ってる爺ちゃんから『早く股ひらけ!』って野次が飛んできたり……。それでもストリップって、“守られてきた”世界っていうか、メディアに出ないからこそ、当たり前のように舞台は続いてきたんです。変に外に出さないからこそ、守られてきた日本の文化。伝統芸能だと思うんです」
踊り子の世界も、他の芸能の世界と変わらない。年齢に関係なく、先に板に乗ったほうが「姐さん」と呼ばれる習わしが今もある。桃瀬さんも数々の「姐さん」の背中を追いながら、日舞にも歌舞伎の稽古にも通って、17年間、踊り子としてのパフォーマンスを磨いてきた。
「でも、格式があるロック座で踊るのも大好きだけど、私にとって一番アットホームだったのが栗橋なんです。私はロック座の子なのに“ここの専属か”ってくらい劇場にも常連さんにもよくしてもらってきた。何も言えずにもう次の日にはなくなっていた劇場もあったから、今ステージからみんなに“さよなら”を言えることの幸せを噛み締めているんです」
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