半世紀の歴史に幕を下ろす「日本最北端」のストリップ劇場 「エアコンひとつ移すだけで……」関係者が初めて明かす「閉館の理由」

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「ビートたけし」との接点

「早く脱げ!」

 踊り子に罵声を浴びせる酔客たちは、ショーの合間の芸人にも「早く姉ちゃんを出せ!」と野次を飛ばした。シオさんが働き始めた35年前の浅草には、ビートたけしが「浅草キッド」で描いたような匂いがまだ色濃く残っていた。ある時、仲良くなった芸人の三畳一間のアパートについていくと、そこは本当にかつてビートたけしが暮らした部屋だったという。

「ロック座から移った後は、仙台や郡山、若松……と色んな劇場で照明をやってきたけど、どこも潰れちゃってね。それで流れ着いたのが栗橋。初めて来た時は、俺だってこんな田舎のどこに劇場があるのかって思ったよ。田舎の小屋だけど、それでも今は照明だって最新のLEDをそろえてある。ロック座をのぞけば、全国で一番キレイに踊り子さんたちを映せるよ」

 ライブ・シアター栗橋の前身である「栗橋大一劇場」がオープンしたのは昭和50年代のことだった。コンビニもない青々とした田畑がバックに広がる建物は、もともと「トラック野郎」のロケでも使われた日光街道沿いのドライブ・イン・レストランだったという。それを前のオーナーがストリップ劇場に改装すると、日光への観光バスのツアー客も押しよせて連日繁盛した。

 以来、十数年の時が経った。劇場に入ると、歴代の踊り子たちの焼けたポラロイドやスナップ写真が壁を埋めつくしている。壁も焼けたように黄ばんでおり、クーラーの効きも悪い。ねっとりとした熱気が漂うエントランスで、スタッフの小平さんは言う。

「老朽化が限界まで来ているのに、改装もできないんです。ストリップ劇場は風営法で厳しく定められていて、エアコンの室外機ひとつ移しただけで、所轄(警察署)や公安にチェックされる。かといって新設することもできないから、劇場は減る一方なんですよ」

経営を直撃した「コロナ禍」

 日本におけるストリップ文化は70年の歴史を誇る「興行」であるものの、現行の風営法では極めて厳しい規制をかけられている。新設のみならず、建物の修繕などもふくめた増改築が許されない現状に「そのまま朽ち果てろと言っているに等しい」という意見もある。

 当局に摘発されるケースはそれだけではない。ストリップは風営法で「性的好奇心をそそるため衣服を脱いだ人の姿態を見せる興行」(法第2条第6項第3号)と定められており、衣服を脱ぐことは想定されているものの、ことさらに下半身を強調する演出は「公然わいせつに当たる可能性がある」として経営者や踊り子が逮捕されるリスクもある。

「昭和の時代や平成初期までは、まな板ショー(ジャンケンで勝った客がステージで踊り子と交わるショー)をやってる劇場もたしかにありました。でも今はそんなの、どこの劇場もやっていない。残ってるファンや踊り子さんのためにって、儲けも少ないなかでやっている状態です」

 小平さんによれば、実は8年前にも一度、閉館を決意したことがあったという。その時は「もったいないよ」という周りの説得もあって営業を続けることにしたが、4年前にコロナ禍が直撃。コロナが明けても戻らない客足にこの夏、ついに閉館を決めた。

 気がつけば「看板猫」のマロンちゃんが、カーテンから漏れる光を追いかけて遊んでいた。そのカーテンの奥では最後のステージの幕が明けようとしていた――。

第2回【「日本最北端のストリップ劇場」の“スター踊り子”が語る「末期がんの常連さんとの忘れえぬ思い出」】では、ライブ・シアター栗橋の〈さようなら公演〉で“トリ”の大役を務めた桃瀬れなさんが「踊り子という仕事」、そして「ある常連客との交流」を赤裸々に語る。

鈴木ユーリ(すずき・ゆーり)
ライター

デイリー新潮編集部

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