「武者小路実篤」が私財をつぎ込んだ“理想郷”が「限界集落」に…残った村民は3人だけで「現状維持が精いっぱい」

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かつて年間3億円だった農業収入が…

 自分が入村したころについて語る吉原さんは、穏やかな笑顔を絶やさない。だが、村の近況に言い及ぶと、あまり芳しくないといった表情になった。私が以前に取材した時にはまだ20人以上いた住民は今、吉原さんに加えて40代と50代の男性2人の計3人に減ったという。その時の取材で話を聞いた住民も、既に鬼籍に入っていると教えてくれた。

「この十数年で村は大きく変わりました。高齢化が進み、離村が相次いで、どんどん人が減っていった。新たに入村する人もいない。主要な収入源だった養鶏場も、卵価下落のあおりを受けて立ち行かなくなりました。有機農法で栽培した野菜類やコメ、シイタケも今はほとんど収穫が上がらなくなりました。一時期、太陽光パネルを設置して収入を得ようとしたのですが、うまくいきませんでした」

 自給自足とはいっても、光熱費などの費用はかかるし、生活用品などを購入するため外部にも買い物に行かなければならない。現金収入は必須なのだ。農業収入はかつて年間約3億円もあり、その大半を占める養鶏業は、前回の訪問時でも村の中心的な存在だと聞いていたのだが、十年ほど前に閉鎖してしまったという。

誰でもよいというわけではありません

 実際に村内を巡ってみると、北側に立ち並んでいた鶏舎周辺は、雑草が生い茂り荒れ果てた状態になっている。青々とした田んぼはまだかなり残っているが、人影はまったくない。使われていない様子の井戸の近くには、空き家がいくつか並んでいる。村の会合やイベントのために住民が集まる公会堂も、明らかに老朽化が進んでいる。村内には実篤の言葉が刻まれた石碑がいくつかあり、周囲にはヒノキやウメの林が見えた。

「ピーク時には60人以上の住民が住んでいたのですがね。その時は高校生以下の子供も10人ぐらいいました。でも、みんな村を出たきり、帰ってくることはなかった。農業をやりたがる若者はあまりいませんから」

 こう率直に現状を明かす吉原さんだが、村民の募集には難しさを感じているという。

「人を呼ばなければいけないのは分かっています。私は、例えば、村に住みながら、外に働きに行けるようにしてもいいのではないかと思っています。ただ、村のきまりも当然あって、誰でもよいというわけではありません。よほどの信念がないと続かない面もあります。こちらとしては、自然の中で、先生が唱えた『自立した住民が分け隔てなく、調和して暮らす』という精神を理解して暮らす、その良さを分かってくれる人が現れてほしいと願っているのですが……」

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