“奔放すぎる妻”が次々に若い男と「恋仲」に…文豪・武者小路実篤の理想郷「新しき村」で女たちが織り成した“複雑な人間関係”
「誰とでも仲良くする房子さん」
宮崎の「村」の元住人で、現在は埼玉の「村」に住む根津与(96歳)は述懐する。
「房子さんは誰とでも仲良くするところがあってねえ。明るくていい人なんですけど、恋愛関係ではいろいろとありましたから、実篤先生は心配そうでしたね。安子さんの方は大人しくてしっかりしていて、尽くすタイプ。私が先生の家に行くといつも台所にいて、甲斐甲斐しく何かしてました。先生ご自身は、物事にこだわらない人でした。村のルールを乱すことには厳しくて、『結婚の“事後承諾”は嫌いだ』なんて言うのですけれど、結局は許しちゃうんです」
房子は晩年、実篤について次のように振り返っている。
「武者小路には俗っぽいところがないの。純粋なの。だから人間的欲望に対しても純粋なのね。(略)ずっと離れていたけど、誰よりも武者小路を理解していたつもりなの。おかげで賢くなったわ。(略)何ともいえない温かい人なの。そばにいるだけで、お火鉢のように温かさを感じる人なの。だからこそ、無責任なこといったりしても、誰にも恨まれなかったのよ」(「週刊新潮」昭和51年4月22日号)
埼玉の「村」の住人は、約30年前は50人以上を数えたが、もう半分ほどにまで減った。宮崎の「村」にも数人が残るのみだ。住人の高齢化も著しい。毛呂山にある、実篤の有名な「かぼちゃ」の絵や資料が並ぶ美術館では、これもよく知られた格言「仲良きことは美しき哉」と書かれた色紙が、一際目立って飾られていた。
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この記事が執筆された2006年当時、村の住人は20数名。そこから18年を経た2024年、3名にまで減少しながらも村は存続しているが――。第2回【「武者小路実篤」が私財をつぎ込んだ“理想郷”が「限界集落」に…残った村民は3人だけで「現状維持が精いっぱい」】では、今年7月に村を再訪した菊地正憲氏が「2024年の新しき村」が直面している問題について書き下ろす。
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