“奔放すぎる妻”が次々に若い男と「恋仲」に…文豪・武者小路実篤の理想郷「新しき村」で女たちが織り成した“複雑な人間関係”

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「一緒に生活する相手となると…」

 それでも、武者小路夫妻はもともと、因習や常識にとらわれず、自由を人一倍重んじる「似たもの同士」である。実篤の方も負けじと(?)、禁断の恋に没入していくことになる。房子の浮気事件とほぼ同時期、15歳年下の飯河安子が実篤の前に現れたのだ。

 明治33年生まれの安子は静岡県の士族の出で、父安信は製紙会社重役だった。上京して日本画を学びつつ、実篤文学にも関心を寄せていた。結婚話が持ち上がった際に家出して、憧れていた「新しき村」の村民になったのだった。実篤は、色白の美人の安子にたちまち惚れ込んでしまった。

 実篤は当時の日記に、率直に書く。

「自分は安子と房子のどちらをより愛しているかと言われると分らないが、愛の形が違っていて、一緒に生活する相手となると、房子より安子の方を望ましく思う。だんだん生活を一色にしたくなって来た今の自分の気持には、我儘をもちすぎている房子は、一つの重荷でもある」(阪田寛夫著「武者小路房子の場合」より)

 こうして夫婦生活は破綻。実篤は安子と再婚し、2女を儲けた。大正14年には、東京の母の病気を理由に、一家で村からも出て奈良に移住してしまう。

“新しい女たち”に振り回された男たち

 ただ、安子もまた、安心はできなかった。今度は若き美人作家真杉静枝が一時、崇拝する実篤に急接近。愛人として浮名を流している。

 安子は寡黙でしんが強く、房子とは対照をなす女だったが、芸術に興味を持ち、身一つで九州の山奥の「村」に乗り込むのだから、房子同様に「新しい女」だといえなくもない。「村」、否、「村の男たち」はまさに、“新しい女たち”によって振り回された感がある。

「主宰者」を中心とした痴話騒動がありながらも、「村」自体は存続していった。太平洋戦争の開戦前、新「新しき村」として埼玉で広大な土地を開墾。支援者たちによる「村」の支部も全国各地にできた。房子は杉山正雄と再婚して宮崎に残り、その後97歳で大往生するまで暮らし続けた。

 実篤は「村」を出てからも、色紙などに描く得意の絵や執筆活動で稼いだ金を村に送っていた。この支援は、昭和51年、妻安子とほぼ同時に逝去するまで続けられた。

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