“奔放すぎる妻”が次々に若い男と「恋仲」に…文豪・武者小路実篤の理想郷「新しき村」で女たちが織り成した“複雑な人間関係”

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房子の積極的なアプローチ

 明治18年(1885年)生まれの実篤は、朴訥とした風貌そのものの「おぼっちゃん」である。東京の公家華族に生まれ、学習院中・高から東大に進学後、中退して文学の道に入った。ただ、恋愛については、失恋を何度も繰り返し、あまりモテる方ではなかった。自らの失恋体験を題材にした小説「お目出たき人」では、主人公に「誠に自分は女に餓えている」と言わせしめているほどだ。

 一方、明治25年生まれの房子は、福井県の豪農で貴族院議員だった竹尾茂の妾腹の子。金に不自由はしなかったものの、複雑な生い立ちにコンプレックスを抱く人物だ。福井高女で学んだ後に上京し、平塚らいてうが主宰する、進歩的な“新しい女”が集う「青鞜社」のメンバーになった。このころ、宮城千之という人物と最初の結婚もしているが、間もなく離婚。特別な美人ではなかったが、自由奔放な女性で、宮城以外にも関係を持った男が複数いたとされている。

 そんな2人が恋に落ちたきっかけは、房子の積極的なアプローチだった。実篤に熱を上げ、1人で自宅に押しかけてきたのである。房子との交際をモチーフに書いた実篤の小説「世間知らず」では、出会いのころの感想が紹介される。

「知らない女の人が来たいと云うのは生れて始めてだったから、図々しい女もいるものだと思った」

天衣無縫な房子とついに結婚

 特筆すべきは、この小説で紹介されている房子の実篤宛の手紙だ。やや支離滅裂でエキセントリックなフレーズを連発するのである。

「私はね、お月様のお申子で、お月様の精だとおもっています。女は大きらい、丸い女は一ばんきらい、くろい女もいや、長い女もいや、みじかい女もいや」

 我儘を通り越した不気味ささえ感じさせる。それでも、「女に餓えてい」た実篤は、最初こそ不快感を示したものの、天衣無縫な房子に次第に引かれるようになり、ついには結婚にまで至ったのだ。

 しかし、結婚後、実篤とともに開村直後の木城村に入った房子が、さっそく「奔放さ」を発揮することになる。入村してきた家出青年とただならぬ仲となり、村内の噂になったのだ。相手は後に映画俳優となった日守新一といわれている。

 それだけではない。長身の美男子の落合貞三、さらには10歳年下の美少年風の杉山正雄なる人物といった具合に、次々に若い入村者と恋仲になったのである。

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