骨箱に顔を擦りつけて…震災から7カ月、やっと納骨できた家族も 少しずつ動き出した猛暑下の「能登半島」
自ら動き出した人びと
伝統産業の塩づくりも地震で大きな被害を受けた。珠洲市で6代続いた塩田を守ってきた角花洋さんは「たとえ3分の1の収量になってもいいから始めなければと思って」と決意し、ひび割れて傾いた塩田の一部をローラーでならして整備。8月3日には潮まきを始めたという。
夏になって、ようやく納骨することができた家族もいる。家が倒壊し、各地に嫁いだ娘たちが集まる場所を失ったため、納骨が延び延びになっていたのだ。骨壺を入れた骨箱に顔を擦りつけ、ようやく名残を惜しむことができたのは、震災から7カ月が過ぎた8月1日のことだった。
猛暑にもかかわらず、いまだに断水が続く地域もある。日差しが照りつける海辺に設置された給水タンクには、今も水を求める住民がやってくる。
8月13日に行われる珠洲市の伝統行事「砂取節まつり」。参加を心待ちにする人びとは、地震で隆起した砂浜で踊りの練習に勤しむ。50年以上続いたこの行事は、担い手不足で去年を最後に幕を下ろしたが、避難所に集まった人たちの間から「今年も踊ろうよ」という声が上がったのだという。復興が遅々として進まない中で、人びとは少しずつ動き出しているようだ。