「高倉健さんの手紙」に背中を押されて…北九州唯一の映画館「小倉昭和館」、全焼から477日で“復活”までの軌跡

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高倉健さんからの手紙

「わたしが小倉昭和館を継いで、最初に組んだプログラムが、高倉健さんの特集上映でした。健さんはおなじ福岡県の中間市ご出身です。ちょうど2011年11月に、『あなたへ』(降旗康男監督、2012年)のロケが門司港であり、そのとき、通行人のエキストラとして参加させていただきました。撮影終了後、健さんにご挨拶したところ、うちのことをご存じで、『自分の映画を上映していただき、ありがとうございます』と、逆にお礼をいわれ、握手してくださったのです。健さんは、うちにいらしたことはなかったようですが、それでも、まさかこんな地方の小さな映画館で上映していることを承知していらっしゃるとは、夢にも思わず、驚いてしまいました」

 このころ、智巳さんは、赤字のつづく小倉昭和館を継続させるべきかどうか、思い悩んでいた。そこで、先日のお礼をかねて、悩みをつづった手紙を出した。

「すると、すぐに返事が速達で来たのです。なにか失礼があったのではと、おそるおそる封を切ると、前半に――『どんな業界でもスクラップ・アンド・ビルドは世の常。その活性が進歩を促すのだと思います』と、ピシャリと述べられていました。しかしその一方で、ちゃんと励ましのお言葉もあり、『夢を見ているだけではどうにもならない現実問題。どうぞ、日々生かされている感謝を忘れずに、自分に嘘のない時間を過ごされて下さい』と書かれていました。“自分に嘘のない時間”……このお手紙を読んで、わたしは小倉昭和館を守っていく決心をしたのです」

 智巳さんは、健さんの了解を得て手紙をロビーに展示していた。この手紙に救われたとの思いを、忘れたくなかったのだ。健さんからの励ましの手紙は、その後もつづいた。

「実は、健さんの訃報が伝わった2014年11月下旬、うちでサスペンス名作2本立てを組んでいました。『張込み』(野村芳太郎監督、1958年)と、もう1本が、健さんの代表作のひとつ、『新幹線大爆破』(佐藤純弥監督、1975年)だったのです。すでにプリントも届いていました。そこで、日本中でうちだけが、訃報と同時に追悼上映をおこなうことができたのです」

 以来、小倉昭和館は、毎年、健さんの命日前後に追悼上映をおこない、九州各地からファンが詰めかけている。

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