実姉が明かす、ブレイキン代表「シゲキックス(Shigekix)」を育てた“文武両道”の教育方針 「幼い頃の弟のあだ名は“小さいおじさん”でした」【全2回のうち第1回】

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 パリ五輪の開会式が日本時間の27日未明に行われ、17日間にわたる戦いの火蓋が切って落とされた。五輪史上初めて競技場以外で行われた開会式で江村美咲選手(フェンシング・女子サーブル)と共に日本チームの旗手を任されたのは、今大会から新たに採用された種目・ブレイキンの日本代表・半井重幸(シゲキックス)だ。彼はこれまでにフランスに30回以上は訪れているそうで、「日本の次に慣れ親しんだ土地で思い入れは強い」という第2の故郷での大役を務め上げ、存在感を示した。(全2回の第1回)

シゲキックスの旗手選出に姉の彩弥は「本当に驚いた」「これまでの積み重ねを認めていただけた」

「新種目のブレイキンから旗手を選んでいただけたことが本当に光栄ですし、自分の弟が日本の選手団を引っ張っていくような立場に立たせてもらえていることに本当に驚いています。きっと彼の日頃の行いや、これまで積み上げてきたものを認めていただけたことが、今回のような特別な形に結びついたのかなと思います」

 シゲキックスの姉で、2019年に全日本選手権初代女王を手にした半井彩弥(AYANE)さんは、同競技の選手ときょうだいという2つの視点で喜びを語った。

 シゲキックスがダンスの世界に足を踏み入れたのは7歳の時。その背景には、既にその世界に足を踏み入れていた姉・彩弥さんの影響があったという。「ストリートダンスの聖地」と言われる大阪OCATの地下1階にあるポンテ広場に連日2人で足を運び、周囲のダンサーたちと時に競い合いながら技術を磨いていった。練習は夜遅くにまで及ぶことも珍しくなかったそうだが、それでも共働きの両親は子供達のやりたいことを全力でサポートした。

「両親はおそらく疲れていた日もあったと思いますが、毎日のように練習についてきて、目の届くところで見守ってくれましたし、ダンスのイベントに出演する時には、自分たちのことのように楽しんで見に来てくれた。今になっても大会の前になると決まって応援のメッセージを送ってくれたり、試合を終えて家に戻ると『お疲れ様』と声をかけてくれたりする。周囲の環境にさまざまな変化はありましたが、応援してくれる両親の姿は、あの頃と何も変わっていません」

 そしてブレイキンが五輪の新種目に採用され、弟のシゲキックスが旗手を務めるという、当時は予想できなかった状況になったことについても、彩弥さんは「両親とは話していないので自身の推測にすぎない」としながらも「旗手を任せてもらえたことにありがたさを感じつつも、五輪を特別視するのではなく、いつものように『大きな大会にシゲユキが挑む』という感覚で見守っているんじゃないかな」と家族ならではの視点で両親の思いを代弁し、自身も弟・重幸さんへの期待を寄せた。

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