「途中で死を何度も感じた事だ」伝説のマラソンランナー「君原健二さん」が語ったオリンピックの光と陰

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指輪を衝動買い

 君原と円谷は、ともに指輪を買い求めたことがある。

 東京オリンピック前年の9月、ニュージーランド合宿の帰路、トランジットで立ち寄った香港でのことだ。

 記録会で円谷は君原の持つ2万メートルの日本記録を破る世界記録を打ち立て、心の弾む帰国への旅だった。

「円谷君は嬉しそうな顔をしてダイヤの指輪を買っていましたから、差し上げたい女性がいたんでしょう。後に婚約者となる人ですね。それを見ていた私もなんだか羨ましくなって、つい同じような指輪を衝動買いしちゃいました。でも私には差し上げる女性の当てもいませんから、それでお袋にあげたんですけどね」

 円谷が買い求めた指輪は、婚約者の手に渡ったのだが、のちに自衛隊体育学校長の猛反対で破談され返されてくる。この心の痛手に加え椎間板ヘルニアとアキレス腱の手術が肉体を蝕み、アスリートとしての復活を妨げ、悲劇へと進んでいく。

 一方の君原には「ペンフレンド」がいた。東京オリンピック前年の2月に初めてもらったファンレターの女性で、手紙のやり取りを毎月重ねた。君原家の隣りの佐賀県に住んでいるのに、初デートまでちょうど2年を要し、その1年後にコーチの後押しを得て結婚する。

「東京オリンピックの後、何か私の心は荒んでいましたね。結婚すれば満たされるのかなと思い早く結婚したいと考えていました。競技者の私にとって結婚は間違いなくプラス面が多かったですね」(君原)

 東京オリンピックでダメージを抱えていた二人のマラソンランナーに、時の経過は、背中合わせの答えを与えていた。

二人の人生の色合い

 徳島県では毎年正月に、県内最大のスポーツイベント「徳島駅伝」が開催されている。3日間にわたり市郡対抗で県内を走破するものだ。そこに地元ランナーの長距離熱を盛り上げようと、県外の実業団チームなどが招待されるのだが、円谷と君原は、それぞれ自衛隊体育学校、新日鉄の一員として参戦している。 

 円谷は東京オリンピックから1年2ヵ月後の66年に、君原は5位入賞を果たしたミュンヘンオリンピックの4ヵ月後の73年に、それぞれ3日間で50キロ前後走っている。
 
 最終日に円谷は、地元各チームが3人でタスキをつなぐ3区間19.8キロを一人で走破しているのだが、ゴール手前7キロ辺りで、すでに地元の1位チームを2分以上引き離していた。長い直線道路にも関わらず円谷が走り去ってから後続チームの姿がなかなか見えないことに沿道のファンは驚き、その激走ぶりに、円谷が見せつけた「一流選手の力」を感嘆した。

 一方の君原は、500メートルほど長くなった同区間を、円谷より5分30秒以上遅いタイムで走った。ゴール手前7キロでは地元選手3人の後塵を拝していたものだから、待ち受けていたファンからは、君原はどこか体調が悪いのではないかと心配されたほどだ。もちろん最終的には先行する3人を抜き去ってゴールしている。

 この二人の走りの様に、その心情を見ることができる。

 円谷はレース前に地元メディアにこんなメッセージを寄せていた。

「それぞれチームのためにいままで努力してきた成果をフルに発揮し、ベストを尽くして立派に戦おうじゃありませんか」「立派な記録を作り好調への再出発の記念にしたい」「トップ選手の圧倒的な強さをみせたい」と。
 
 そして君原は、淡々とこう述べている。

「調子はまずまず。一生懸命頑張るつもりです」「前半は徳島の選手と一緒に走り、後半は思い切って飛ばしたい」
 
 容赦ない段違いのスピードで地元選手を圧倒する円谷。高校生らを先行あるいは並走させて最後に力を見せつける君原。
 
 その当時の二人の置かれていた立場の違いはあるにせよ、一流のマラソンランナーの存在を披露することで地元ランナーを刺激しようとする心遣いは同じだった。

 ただそこに、生真面目一徹な円谷と、自分の力を出せばいいだけと達観した振る舞いを見せた君原がいた。その表現方法の違いに、その後の二人の人生の色合いが見られる。(敬称略)

第1回【「今日は円谷君のために走ろう」…メキシコ五輪・マラソン銀メダリスト「君原健二さん」が明かした「あの日、なぜ後ろを振り返ったか」】では、自ら命を絶った円谷幸吉との関係について君原さんが語っている。

君原健二(きみはら・けんじ)
1941年生まれ。福岡県北九州市出身。マラソンランナー。1964年東京オリンピック8位。68年メキシコシティオリンピック2位。72年ミュンヘンオリンピック5位。

飯田守(いいだ・まもる)
徳島県生まれ。「月刊現代」「週刊現代」などの記者を経てライター、編集者に。財界人やスポーツ選手のインタビュー、鉄道、紀行文を手がける。著書に『みんな知りたい!ドクターイエローのひみつ』(講談社)。

デイリー新潮編集部

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