「人間かしらと思うほど綺麗でした」吉永小百合「たった5人」の結婚式…立会人になった「演歌歌手」夫妻が振り返る“国民的女優”の晴れの日

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 今年79歳を迎えた吉永小百合は清純派の代名詞であり、戦後の日本と共に歩んできた「最後の国民的女優」でもある。彼女の結婚式が行われたのは昭和48(1973)年8月3日。今でこそ芸能人の結婚はSNSでの発表がほとんどだが、当時はスターの結婚式が“一大イベント”と認識されていた時代だ。

 だが、吉永の父親が大反対したこともあって、結婚式に顔をそろえたのは新郎新婦に加えて3人だけ。演歌歌手の畠山みどりと夫で元フジテレビプロデューサーの千秋与四夫氏は、式場として自宅を提供し、立会人兼仲人も務めた。式当日を振り返る畠山・千秋夫妻のインタビューからは、当時の吉永が迎えていたであろう“岐路”もうかがえる。

(「週刊新潮」2015年8月25日号別冊「『黄金の昭和』探訪」より「『スーパースター』運命の一日 吉永小百合:ご両家は全員欠席で、5人の『結婚式』式次第」をもとに再構成しました。文中の年代表記等は執筆当時のものです。文中一部敬称略)

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予想もしていなかった話だった

「一つ頼みがある。お前の家を貸してくれないか」

 吉永の婚約者、岡田太郎氏(43)=当時=から、千秋がこう相談されたのは式の3日前、昭和48年7月31日のことだった。千秋が懐かしむ。

「私と岡田はフジテレビの同期で、昭和46年頃、フジが制作部をプロダクション化した際、一緒に子会社を作りました。フジ時代、彼とはほとんど交流がなかったんだけどね。上司から『ドラマの人間も入れるべき。岡田君がいい』とアドバイスされ、彼を誘うことになったのです」

 千秋が東京・高輪に3階建ての豪邸を建てたのは、昭和47年2月のこと。

「むろん、岡田もうちが新築なのを知っていた。で、私の自宅で何をするか聞くと、『結婚式を挙げたい』と言うんです。当時、2人の交際について報道されていましたが、私自身は、その時初めて、結婚することを知りました。吉永小百合との結婚式を私の家でやるなんて、予想もしていなかった話だからね。『立派な神社とかでやったらどうか』と提案しました」

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