男子柔道の「五輪メダリスト」はなぜ“柔の道”を離れるのか…あえて「指導者」を目指さない根本的な理由

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先駆者は小川直也

 その先駆者となったのは、全日本・世界選手権を制し、“世界最強”の呼び声が高かったものの、バルセロナ五輪の95キロ超級で銀に終わった小川直也(56)である。96年のアトランタでは5位とメダル獲得はならず、97年2月にJRAを退職して、格闘家に転身した。

「故アントニオ猪木さんに師事した小川は、当初、新日本プロレスに参戦し、故橋本真也さんとの抗争で集客に貢献しました。その後、総合格闘技団体・PRIDEに転身。05年12月の大みそかには吉田と対戦し、敗れはしたものの、2人合わせてファイトマネーは5億円と言われるビッグマッチが話題になりました。さらに、プロレスイベント『ハッスル』のリングでブームを巻き起こすなどして、プロレスのリングに再び戻った後、18年6月に『息子(小川雄勢)の指導に専念したい』と、プロレス及び総合格闘技から引退しました。現在は柔道界への復帰を目指す方針を明らかにし、自身が道場主を務める小川道場で、後進の育成にあたっています」(プロレス専門誌記者)

 小川、吉田に続くように、00年シドニー五輪81キロ級金メダリストの瀧本誠(49)はJRAの退社を経て、04年アテネ五輪90キロ級銀メダリストの泉浩(42)は09年6月に旭化成を退社後、そして08年北京五輪100キロ超級金メダリストの石井慧(37)は国士舘大を卒業後に、それぞれ格闘家に転身した。

「当時は珍しかった髪の毛を茶髪に染めるなど、『柔道界の異端児』と呼ばれた瀧本はJRAを退社して、フランスのクラブチームに所属しました。日本に比べて自由な雰囲気の柔道に触発されたようですが、04年アテネ五輪の代表権を逃すとあっさり引退。吉田の手引きで、吉田が創設した柔道教室『吉田道場』の所属ファイターとしてリングに上がりましたが、ケガも多く10年3月に格闘家を引退しています」(スポーツ紙格闘技担当記者)

 泉は実家が青森・大間のマグロ漁師として話題になったこともある。北京で初の金メダルを狙ったものの、減量に失敗して2回戦負けしたことで格闘技転身を決意。リングに上がりながら、11年にはレスリングで翌年のロンドン五輪を目指し、社会人選手権に出場するも2回戦で敗退した。

「その後、鮮魚卸売会社の社員として東京・大田市場で働くかたわら、実業団柔道部の監督を務めるなど、指導者としても活動していました。17年の大みそかにはABEMAで生放送された、『元横綱朝青龍を押し出したら1000万円もらえる企画』の特番にチャレンジャーの1人として出演しましたが、あっさり敗れています」(同)

 格闘家引退後、瀧本は指導者や解説者として活動。泉は指導経験を買われて今年4月、次回ロス五輪を見据えたエジプト柔道代表チームのヘッドコーチに就任している。

 石井は今年3月に格闘家引退を表明したが、世界最大のプロレス団体・WWEのスーパースター、ザ・ロックこと、ハリウッドスターのドゥエイン・ジョンソン(52)の主演映画「ザ・スマッシング・マシン」でハリウッドデビューを果たすことが明らかになった。

 また、石井の国士舘大の先輩でアテネ、北京の66キロ級金メダリストである内柴正人(46)は14年4月、女性に暴行した罪が最高裁判所で確定した。

「刑事裁判で有罪となったことを受け、全柔連は会員登録永久停止処分(永久追放)とすることを決定したため、柔道界への復帰は不可能に。現在は、再婚相手の実家が経営する温浴施設で働きながら、ブラジリアン柔術茶帯を取得しています」(全国紙社会部記者)

異色の転身を果たした代表監督も

 異色の転身を果たしたのが、シドニー五輪100キロ超級の決勝戦で、“世紀の誤審”と呼ばれる判定に泣いて銀メダルに終わり、12年のロンドン五輪で男子の監督として日本代表を率いた篠原信一(51)だ。

「旭化成を退社後、母校・天理大の監督に就任。さらに、全日本の監督に就任するという“エリートコース”を歩んでいました。ところが、ロンドンで男子史上初の金0個という結果を受けて引責辞任。その後、タレント活動をしていましたが、柔道界での人間関係などに疲弊したのか、徐々に柔道界との距離を置き、現在は長野・安曇野でブルーベリー農園『しのふぁ~む』を経営しています」(先の全柔連関係者)

 さらに、メダリストではないが、バルセロナ五輪65キロ級代表だった丸山顕志被告(59)は今年2月、五輪出場の経歴を示して信頼させた上で、全国で少なくとも30人以上から仮想通貨の購入費名目で数億円を集め、返金しないなどトラブルになった事件により、詐欺罪で逮捕され、その後、起訴された。

 こうした男子メダリストたちに比べると、女子は大半が引退後は指導者として後進の育成にあたるなど、順調な道を歩んでいる。

 現役時代、“ヤワラちゃん”と呼ばれ、女子48キロ級でバルセロナから北京までの5大会で金2個、銀2個、銅1個を獲得した谷亮子(48)は、10年3月いっぱいでトヨタ自動車のスポンサー契約(同社所属の従業員選手扱い)が終了。同年7月、参院選に民主党の比例区から立候補。絶大な知名度で民主党公認候補の中で得票数第2位となる35万2594票を獲得し当選した。

 その戦いぶりから「野獣」と呼ばれ、ロンドン五輪女子57キロ級で金、16年のリオ五輪で銅を獲得した松本薫(36)は19年に現役引退を表明後、アイスクリーム屋に転身。2児のママとして、タレント活動もこなしている。谷も松本も、パリ五輪では解説者としても引っ張りだこだった。

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