男子柔道の「五輪メダリスト」はなぜ“柔の道”を離れるのか…あえて「指導者」を目指さない根本的な理由

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国際大会で対応できていない

 パリ五輪で唯一、日本発祥の競技である柔道は8月3日(日本時間)で全日程が終了した。最終種目の混合団体では、前回21年の東京五輪に続いて開催国のフランスに敗れ、銀メダルに。個人・団体でのメダルは金3個、銀2個、銅3個を獲得したが、東京五輪の金9個、銀2個、銅1個に比べると、振るわない結果になった。

「誤審問題もありましたが、すでに国際大会では、相手の襟と袖口をしっかり持つのではなく、両袖、両襟、肩口、背中を抱えるなど、柔道の基本から外れた体勢で技をかけるのが当たり前になっています。しかし、日本にはそういう変則的な組み手をする選手がほとんどいないため、多くの日本選手がそのスタイルに対応できていませんでした。このままだと、次のロサンゼルス大会はもっとメダルを減らすことになるでしょう。選手のみならず、コーチなど首脳陣にも意識改革が求められます」(スポーツ紙五輪担当記者)

 五輪と柔道の歴史を振り返ると、男子は1964年の東京五輪から。女子は88年のソウル五輪での公開競技を経て、92年のバルセロナ五輪で正式に競技として採用されて以降、全大会で日本人選手がメダルを獲得している。その一方で、代表選手たちの所属先も徐々に変化をみせている。

「柔道選手の進路としては大学を卒業後、実業団に就職して競技を続けるのが一般的です。今回の五輪代表を見ると、最も多くの選手を送り出しているのは、阿部一二三・詩兄妹、男子100キロ級のウルフ・アロンらが所属する、駐車場運営会社・パーク24で、代表メンバー14人中5人。続いては2人ずつで、男子100キロ級の斉藤立、90キロ級の村尾三四郎が所属するエレベーターの保守・管理会社であるジャパンエレベーターサービスホールディングス(JES)、女子48キロ級の角田夏実らのSBC湘南美容クリニック、女子57キロ級の舟久保遥香らの三井住友海上火災保険。残るは1人ずつで、男子81キロ級の永瀬貴規の旭化成、女子62キロ級の高市未来のコマツ、女子70キロ級の新添左季の自衛隊体育学校です。かつて多くの五輪選手や代表候補を輩出した新日鉄、警視庁、ALSOK、日本中央競馬会(JRA)に所属する選手はいませんでした」(全柔連関係者)

 今や柔道界の名門チームとなったパーク24で総監督を務めているのが、バルセロナ五輪の男子78キロ級で金を獲得した吉田秀彦(54)だ。現役引退後の02年8月に格闘家としてプロデビュー。その後、PRIDE、戦極などのリングで数々の激闘を繰り広げ大活躍。プロ格闘家引退から1年が経過し、全日本柔道連盟(全柔連)への指導者登録が可能になったことを受け、柔道界への復帰を果たした。

 ただ、吉田の例は“いい例”で、これまでの柔道・五輪メダリストたちの顔触れを見ると、ある傾向が浮き彫りになってくる。それは現役を引退後、女子に比べ、男子の方が圧倒的に、柔道以外の道に進む選手が多いのである。

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