卓球女子団体が決勝進出! 「卓球の能力は普通だった」早田ひながエースに上り詰められたワケ【パリ五輪】

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「まさか」の敗戦に終わった卓球の混合ダブルス。張本智和(21)、早田ひな(24)組が1回戦で北朝鮮のペアに敗れたのだ。しかし早田は「(今後も)自分がやってきたことをやるだけ」と冷静で、この敗戦を引きずることなくシングルスで銅メダルを獲得。女子団体でもチームを引っ張り、ドイツを破って決勝へと駒を進めた。

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抜きん出ていた「努力の才能」

 そんな早田の両親は卓球経験者ではない。彼女が日本のエースにまで上り詰められた背景には、地元福岡県にある「石田卓球N+」という卓球クラブの存在がある。クラブの代表を務めるのは石田眞行(まゆき)・千栄子夫妻。クラブでは眞之さんは「男先生」、千栄子さんは「女先生」と呼ばれる。

 最初にクラブに通うようになったのは6歳上の姉で、早田もついて行くうちに卓球をやるように。早田が4歳の時だった。

「卓球のセンスは他の子と同程度でした。“この子はセンスがいいな”とか“強くなるな”というのはなかった」(千栄子さん)

「卓球の能力は、普通。ただ、努力を継続する能力が高かった。小学生の頃、“3キロのランニングをしなさい”と言ったところ、他の子は『走った』といっても365日のうち100日くらいですが、彼女の場合は365日ですから」(眞行さん)

 早田は元々は右手にラケットを握ってプレーしていたが、小学生に上がる前に左手に変えている。

「右で打っていたんですけどどこか不自然なので本人に聞いてみたら、サッカーボールは左足で蹴る、と。あと、お母さんに“家族に左利きはいませんか?”と聞いたら、“主人は左利きです”と。それが決定打となって変えました」

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