「慶大生初の女性メダリスト」尾崎野乃香 レスリング強豪校を選ばなかった“驚きの理由”【パリ五輪】
レスリング女子68kg級で銅メダルを獲得し、慶應義塾大学在学生初のオリンピックメダリストとなった尾崎野乃香。快挙に至る道のりには、ひたむきな勝利への執念があった。彼女の能力が覚醒した瞬間をスポーツライターの小林信也氏が描く。
(「週刊新潮」2024年6月13日号をもとに加筆・修正しました。日付や年齢、肩書などは当時のものです。)
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パリ五輪を担う“逸材”
尾崎野乃香は成城学園中を卒業する時、JOCエリートアカデミー入りを勧められた。全国中学選手権をはじめ数々の大会で優勝を重ね、7年後のパリ五輪を担う逸材と認められたのだ。尾崎は大学まで一貫で進める環境を捨て、レスリング優先の3年間を過ごした。期待どおり世界カデット選手権(16-17歳)優勝、ユース五輪優勝。高3時には全日本選手権62キロ級で初優勝。パリ五輪が明確に視野に入った。が、高校を出る時、今度は競技優先の強豪校を選ばなかった。
「レスリングをやり終えたその先のキャリアも考えて」
尾崎は慶應義塾大の環境情報学部に合格。慶應のレスリング部は古い伝統を誇るが近年は強豪とはいえない水準だ。尾崎の練習相手になる男子選手もあまりいない。そのため常に出稽古。他の大学や高校に練習相手を求めて回る生活を最初から覚悟していた。
「結果さえ出せば代表に選ばれる競技です。だから大丈夫だと思っていました」
日吉キャンパスの北側、蝮谷と呼ばれる谷の一隅にあるレスリング場で尾崎は話してくれた。湘南藤沢キャンパスで学び、放課後は毎日違う練習場で汗を流す。他の選手にはない自由自在の日々に自負を感じていた。
「考えていたより簡単ではなかった」
1年生で全日本選手権の62キロ級優勝。2年夏(2022年)全日本選抜で東京五輪金メダルの川井友香子を破り2連覇。9月の世界選手権では頂点に立った。自ら選んだ文武両道の選択は順調に見えた。ところが12月、全日本選手権決勝で元木咲良(育英大)に負けた。翌23年6月の全日本選抜では準々決勝で敗れ、パリ五輪への道が事実上断たれた。
「考えていたより簡単ではありませんでした。強い大学に居れば練習環境、指導者、食事、すべてそろっている。私は毎日自分で練習場を探し、相手の監督さんに電話でお願いし、食事も自分で作ります」
意地とプライド、悔しさの混じった強いまなざしで、尾崎はつぶやいた。
「言葉で言うほど生易しいものではありません」
五輪を目指す立場で専属コーチがいない、いわばフリーランスのレスリング選手。練習後、一人暮らしの部屋で自炊する。週末だけ母の手料理で息をつける。
失意の尾崎は、昨年夏、韮崎工(山梨)の練習に参加した。文田敏郎監督は、東京五輪銀メダリスト文田健一郎の父。文田が言う。
「強かった、野乃香の攻撃力は魅力的でした。でも防御がぎこちない。守りに入ると、高校生(男子)にも簡単にタックルを許す場面があった。ひたすら攻めて勝ってきたので、守る経験が少ないんだと思って私は守る技術を指導しました」
一度だけの参加だと思った尾崎が帰り際に言った。
「明日も来ていいですか」
それが尾崎の覚醒の瞬間だったかもしれない。
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