森口博子「アニソンは生涯の財産」 歌手に憧れた少女が「ガンダム」と出会い、不動の存在になるまで

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リストラ候補に…歌が歌えるならロバも口説きます!

 高校を卒業する頃になり、森口の耳に聞こえてきたのは、自身のリストラにまつわる話だった。“彼女は才能がないから(故郷の)福岡に返した方がいい”。当然、森口には納得しがたい話だった。

 当時のアイドルは、3カ月に1枚程度のシングルを発売するのが主流だったが、森口は翌年2月にセカンドシングル「すみれの気持ち‐TRY ME AGAIN-」を発売したものの、高3の1年間はシングル発売がなかった。

「ガンダムは作品パワーもあるので、そこそこ売れましたが、『さあここからだ』と思っていたので、まずは大人の矛盾が納得いかなくて。泣きながら『どんな仕事もしますので、(福岡に)返さないでください』と頼み込みました」

 ここから“バラドル”としての森口博子の才能が開花することになる。もともと学生時代は、クラスの先生のものまねをするなどして、周りを楽しませるタイプ。だが、アイドルを目指してきた身にとっては、何をするのかも未知数な世界に飛び込んだ。

 最初の仕事であり、今もよく覚えているのが「オスのロバを口説いてきて」というもの。「何じゃそれ?」と思ったものの、やるしかない。しかし、なかなか関心を示してくれないロバに対し、「興奮させないとロケは終わらない」と一念発起。

「人間の男の子だと思おう、と考えて、ロバの耳にフッと息を吹きかけたり、『ロバリン』と優しく呼んで撫でたりしたら、やっと反応してくれて。『いい画が撮れた』とスタッフさんに言われて、我ながら頑張ったなって思いました」

高視聴率「ものまね王座決定戦」で優勝

「現場に行けばスイッチが入る体質」だったことも幸いし、あらゆるバラエティ番組に呼ばれ、その言動がお茶の間を沸かせ、高校の同級生でもあった井森とともに「バラエティアイドル=バラドル」という言葉を生み出す元ともなった。

「とにかく名前と顔を覚えてもらおう」という気持ちが、バラエティ番組に出ていた森口の根底にあった。ジャンルは違うがその先には必ず歌がある、やりたいことをやるためにジャンルが違っても全力でやる。そう思って突き進んでいた。

 1990年頃には、当時、人気絶頂だったフジテレビの「ものまね王座決定戦」でコロッケや清水アキラ、栗田貫一、ビジーフォーの「ものまね四天王」に対し、松居直美、松本明子、篠塚満由美らと「ものまね女四天王」とも呼ばれ、「第7回爆笑!スターものまね王座決定戦」で優勝も果たした。当時は20%台後半から30%台の世帯視聴率を上げていたお化け番組だけに反響も大きかった。

「ものまねに出るようになって、お正月にハワイに行ったんですが、テレビの力って本当に大きい。ハワイにいる日本人の方に囲まれて。名前と顔を売るというのは、自分にとってのミッションでしたから、本当に嬉しかった」

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