「決断ストレス」から人間を解放してくれるのは「占い」だった!? 政治家に占い好きが多い“納得の理由”(古市憲寿)
若い算命学士と知り合った。彼の話しぶりを聞いていると、なぜ運命学や占いが人気なのかが分かった。それは断定してくれるからだ。
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僕の場合、算命学的には「龍高星」が中央にあり、好奇心を優先して生きるのがいいという。「天南星」も二つ以上あり、これは田原総一朗さんと一緒。無鉄砲でずうずうしいマスコミの仕事に向く。一方、名誉に関する星はないので、名誉を追い求めてはいけない。
算命学は生年月日を元にする。両親や祖父母の生年月日も勘案するとはいえ、同じ日に生まれたからといって、人間の本性が同じだとはにわかには信じがたい。
だが実のところ、算命学が本当に合っているかどうかは、重要ではないと思った。星が示す「本当の自分」と実際の自分がどう違っていて、算命学的に行動した場合、人生がどう変わるかなど検証不可能である。
ではなぜ運命学や占いが古くから愛され続けてきたか。それは「決断ストレス」を下げてくれるからだろう。
人間が一日のうちに、ストレスなく決断できる数には限りがあるともいわれる。事実、スティーヴ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグなど、毎日同じ服を着ている経営者は多い。決断すべき重要事項が無数にある彼らにとって、「何を着るか」というささいなことに「決断ストレス」を使いたくないのだ。
われわれの生活には、無数の決断がある。朝、何を食べるか。どんな服を着るか。どうやって職場へ向かうか。会食の店はどこにするか。そうしたさまつな決断でさえ、僕たちを疲弊させていく。それならいっそ方針があった方が楽である。そこで運命学や占いなのだろう。
僕は意思決定に迷った場合、算命学的には好奇心を優先させればいい、ということになる。この指針は「決断ストレス」を大きく減らしてくれる。
政治家に占い好きが多いのも理解できる。彼らは51と49で世論が拮抗するような問題に対して決断を下さないとならない。というか、決断こそが政治家の仕事だ。だから指針がほしい。本来、それは彼らの国家観や社会観から導き出されるべきだが、そんなものを持たない政治家も多い。
ところで冷静になって考えてみると、真に重要な決断というのは、ほとんどないようにも思う。僕たちはAとBの選択肢を前にした時、その先にまるで違う未来があるように想像してしまうが、どちらも同じような結果が待っていることは多い。もしくはとっくに未来は決している時もある。
だとすれば迷う時間さえ無駄ということになる。それならAでもBでもいいから、とにかく歩を進めた方がいい。そんな時は、運命学や占いの指針を信じることが合理的となる。
僕も他人にアドバイスする時、無責任に「絶対」という言葉を使うことがある。どうせ効果測定はできないのに不思議な説得力があるからだ。この文章を読んでいる人は、少なくとも今日は絶対に睡眠時間を確保すべきです、といった具合に。