「推し」や「公式」にカネを貢がないとファン失格? “癒やし”より“しんどさ”が勝る「推し活疲れ」の正体

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推し活疲れにはネット断ちが有効

 過去に筆者がネット上で目にした例に、「周りに批判されたからファンを辞める」というものがある。「おいおい、お前の本気はその程度なのか」と残念に思った。オタクとは周りに何を言われようと、周りに理解されなくても好きを貫く誇り高き存在だったはずだし、それが本来の推し活ではないだろうか。

 ところが、最近はこうしたオタクがいなくなり、オタクコンテンツを他人と交流するきっかけに活用しようという考えの人が増えた。いわば、オタクの陽キャ化が進んだように見受けられる。

 周りの目線や意見、使った金額を気にしすぎるから、推し活疲れが起きるのだ。周りを気にしないようにする方法はただ一つ、ネット断ちをすることである。特にXやInstagramは推し活に必須なようで、害悪でしかない。周りが推しにつぎ込んだグッズの量や、開けたシャンパンの量などが可視化され、何かと気になってしまうためだ。

 ネット断ちをすれば、他人との比較をしなくて済むし、ひたすら自分だけの世界に没入できる。オフ会だって、大人数で集まる必要はない。本気で気が合いそうな人同士がせいぜい2~3人いれば十分だし、余計なマウントの取り合いをしなくても済む。それこそが健全な推し活の在り方だと思うのだが、いかがだろうか。

周りの目線を気にせずに推そう

 筆者は子どもの頃からアニメが好きだが、そもそも東北地方の田舎で10代を過ごしていたので、同志などほとんどおらず、周りの人達から趣味を理解してもらえなかった。が、何を言われようとも、「この作品やキャラが好きなのは自分だけなんだ」「良さが分からないなんて、大したことないな」などと、謎の自尊心をもって暮らしていた。

 しかし、今から思えば、その環境が良かったのだ。孤独だったため、かえって周りの人と趣味で競わずに済んだからである。SNSがない時代は他人と比較する機会も少なかったから、推しを本当の意味で心のよりどころにすることができたのである。

 ところが、最近の推し活勢はと言うと、とにかく周りの目を意識しすぎているように思う。推しよりも他人の行動が気になってしまうのである。そして、よりどころである推し本人も、グッズを買え、写真集を買えと、とにかく金を使うようにと煽るから、「金を公式や本人に貢がなければファン失格なのではないか」と思ってしまう人が相次いでいるのだ。

 本来、オタクの活動など自由なものだったはずだ。グッズを大量に買える人は買えばいいし、買えない人は買わなくてもいいのである。どうにも推し活文化は、過度な宗教化、そして商業主義化が著しい。こうした風潮が推し活疲れを生み出してしまうのは当然だろうし、この傾向が続けば、推し活勢が徐々に疲弊していき、せっかく芽生えた文化自体が衰退してしまうのではないかと思う。

ライター・宮原多可志

デイリー新潮編集部

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