〈甲子園〉J-POP調「至学館高校」の校歌は、なぜ昔ながらの「だみ声」で合唱されるのか?――「校歌らしさ」の謎を解く

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 近年、ポップス調の校歌が増えている。甲子園(全国高等学校野球選手権大会)などで、突然J‐POPのような校歌が流れてきて驚いたという人もいるだろう。最近では、和歌山大会でレゲエ風の校歌が球場に響きわたり、ネット上で話題となった。

 今大会出場校の中では、明豊高校(大分)の校歌が有名だ。地元出身の南こうせつさん夫妻が手がけたもので、南さんらしい爽やかなメロディーが印象的な曲となっている。

 音楽社会史を専門とする東京大学名誉教授の渡辺裕氏は、新刊『校歌斉唱! 日本人が育んだ学校文化の謎』(新潮選書)で、たとえポップス調の校歌であっても、不思議なことに、なぜか昔ながらの「だみ声」で合唱される傾向があることを指摘している。同書の一部を再編集してお届けしよう。 

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 1990年代にはいり、2000(平成12)年の声をきくあたりから、J‐POPを担うようなポピュラー音楽系の作詞家や作曲家に校歌の作曲を依頼するケースが増えてきて、従来の校歌にはなかったようなポップス調の校歌が出てくるようになりました。

 そのことがとりわけ話題になったのは、2011(平成23)年で、夏の第93回全国高等学校野球選手権大会に群馬県代表として健大高崎高校(冬杜花代子作詞、坂田晃一作曲)、愛知県代表として至学館高校(飯尾歩作詞・作曲)と、いずれもJ‐POP調のテイストの校歌をもつ学校が同時に初出場したことなどから、注目が集まるようになりました。

 そんなことをきっかけに、その少し前の2004(平成16)年に春の選抜で優勝、夏にも準優勝の大活躍をとげて以来、「『やれば出来る』は魔法の合いことば」という、およそ校歌らしくない歌詞が話題になっていた愛媛県の済美高校(一色和寿子作詞、藤田浩作曲)の校歌などもひっくるめて、「いまどき校歌」などと呼ばれるようになったのです(「いまどき校歌 話題の的」、朝日新聞、2011年8月5日、「ドキドキ 今どき校歌」、朝日新聞、2011年8月18日)。

「ポップス化」は進むか?

 校歌は一度作るとそんなに簡単に作り変えるものではありませんから、こういう校歌がどんどん増えているとまでは言えませんが、新設や合併などで新たに校歌が作られるようなケースでは、ポップス系の作者に依頼するようなことは今ではさほど珍しいことではなくなってきています。

 そんな状況をみていると、今後も「ポップス化」が急速に進んで、校歌をめぐる景色が全く変わってしまうのではないかと思われるかもしれないのですが、なかなかそう一筋縄ではいかないのではないかと私は思います。

 たしかに、一昔前の「紋切り型の古臭い」スタイルの校歌が当たり前のように作られる時代に逆戻りするようなことは、おそらくもうないでしょうが、だからといって、校歌の世界がポップスの世界と区別のつかないようなものになっていってしまうということには、なかなかならないような気がするのです。

「黄金コンビ」の作詞作曲

 その意味でちょっとおもしろい事例をひとつご紹介しましょう。千葉県立富里高等学校の校歌です。富里高校は1986(昭和61)年に新設開校した学校で、校歌も開校時に作られたのですが、その際に作詞を山口洋子(1937─2014)、作曲を平尾昌晃(1937─2017)に依頼しました。

 この山口と平尾のコンビは言うまでもなく、この時期の歌謡曲の世界に五木ひろしらのヒット曲を次々送り込んでいた「黄金コンビ」でした。校歌の制作をポップス系の作者に依頼するような動きなどまだほとんどなかったような時代でしたから話題になり、新聞記事でも紹介されています(「校歌作曲して平尾自ら指揮/千葉県の新設高開校式」、朝日新聞、1986年4月14日)。

 ところが実際に曲をみてみると、この山口=平尾という歌謡曲の世界の「黄金コンビ」のイメージからわれわれが想像するのとは全く違ったテイストのものであることに驚かされます。もちろん、ある種の「新しさ」を感じさせるところはあるのですが、それがかなり「校歌らしさ」の方に寄った「新しさ」で、「山口=平尾ワールド」的な感じは全くないのです。

「いまどき校歌」の代表

 実際の制作プロセスのなかで、誰がこのような方向づけを主導していったのかというようなことは調べてみないとわかりませんが、外部からの要請にせよ「自主規制」にせよ、何らかの形で、新しい校歌を従来の「校歌らしさ」の方向へと引き寄せてゆくような力学が作用したことはたしかだろうと思います。

 少し局面は違いますが、「いまどき校歌」の代表格とされる至学館高校の校歌のケースにも似たようなところがみられます。こちらは歌そのものはもろにJ‐POP調のものですので、その点は富里高校のケースとはだいぶ違います。
 
 実はこの曲は最初から校歌として作られたわけではなく、同校の系列の大学にかつて籍を置いていたレスリングの伊調千春選手が2004(平成16)年のアテネ五輪で惜しくも銀メダルに終わった際に、さらに金メダルを目指す同選手を励ますために作られたものが後になって校歌に転用されたという来歴がありました。

選手たちが「放歌高吟」

 歌詞をそのつもりで見直してみると、たしかに背景にあるストーリー性が感じられてきます。《夢追人》というタイトルでCDも出ていますが、シンガーソングライターとしても知られるKOKIAがつぶやくように歌っているのを聴いていると、そもそもこういう曲を皆で合唱するなどという校歌としての使い方ができるのかと思ってしまうくらいです。

 ところがこれが皆で歌えるのです。YouTubeに、夏の甲子園大会の予選で勝ち、甲子園出場を決めた試合の後に校歌が流され、選手たちもスタンドも一緒になってこれを歌っている映像があったので見てみたのですが、普通の校歌と同じように、選手たちがだみ声を張り上げて「放歌高吟」しているのです。

 もちろん、そんなものは「芸術的価値」という観点から高く評価できるようなものではないという声は出てくるでしょう。「作品を台無しにしてしまった」という嘆きの声もあるかもしれません。しかしそれにもかかわらず、否むしろそのような歌い方をしているからこそ、「校歌」としてまさに機能しているのです。

「校歌らしさ」への力学

 こういう曲がまさに「校歌らしい」ものになっていることを、この歌が適応して「校歌らしく」なっていったとみるか、あるいはむりやり「校歌らしさ」の世界に引きずりこまれてしまったとみるか、そのあたり判断がわかれるところかもしれませんが、ともあれ「校歌らしく」なることで「校歌」として機能するようになったことはたしかです。

 そういう意味ではこのケースでもやはり富里高校の例と同様に、新しい方向性をもった校歌を、従来の「校歌らしさ」の方に引き寄せてゆこうとする力学が働いているケースとしてみることができるのではないかと思います。

※本記事は、渡辺裕『校歌斉唱! 日本人が育んだ学校文化の謎』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

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