柔道はなぜ「誤審ピック」に泣かされるのか…シドニーで「世紀の誤審」、ロンドンでは監督としても涙を呑んだ「篠原信一氏」の例も

スポーツ

  • ブックマーク

再び誤審が話題になったロンドン五輪

 この見直しが功を奏したのか、2004年のアテネ五輪と08年の北京五輪の柔道で誤審が話題になることはなかった。だが12年のロンドン五輪では再び“誤審ラッシュ”が取り沙汰されてしまう。

「まず男子66キロ級の準々決勝で、日本の海老沼匡選手と韓国の曹準好選手が対戦しました。当時は延長戦で決着が付かない場合、主審と副審2人の旗判定で勝敗が決まりました。そして最初は3人の全員が曹選手の勝利を判断したのですが、ジュリーと呼ばれる審判委員が問題視して協議。すると、いきなり3−0で海老沼選手の勝利にひっくり返ってしまったのです。日本人選手が勝利したことで異論が噴出することはなかったとはいえ、審判に対する不信感は募りました」(同・記者)

 男子90キロ級の準々決勝では、日本の西山将士と韓国の宋大男(ソン・デナム)が対戦した。この時も誤審が指摘された。

「宋選手が技ありと有効を取って試合を有利に進めていました。これに西山選手は大外刈りで宋選手を背中から倒しました。試合後、西山選手は『一本を取れたと思った』と振り返ったように、会心の技だったのです。主審は一本を宣告しましたが、副審の2人は技ありの判定。宋選手は有効のリードを守り切り、西山選手は敗退しました」(同・記者)

泉谷しげるは「日本叩き」と指摘

 この時、男子柔道の監督を務めていたのは篠原氏だった。まさに奇縁と言えるだろう。

「同じように誤審に泣いた篠原監督は、西山選手が3位決定戦に勝利して銅メダルを確定させると、日本人記者団に準々決勝は誤審の可能性が高いと指摘しました。そもそもロンドン五輪では主審と副審の意見が別れると、必ずジュリーが異議を申し立ていました。ところが西山選手の準々決勝では、なぜかジュリーは審判の判断を尊重したのです。篠原監督は『その基準が分からない。ほかの人も一本と思ったはず』と強い不満を口にしました」(同・記者)

 当時はSNSが発達していなかったこともあり、芸能人の発言は今以上に世論を代弁するものとして受け止められた。歌手の泉谷しげるは都内のイベントで記者からロンドン五輪の感想について聞かれ、「ひどい誤審が盛り上げるよね」と柔道の審判を批判。「日本叩き。日本の競技がいじわるされている」とこき下ろした。

 こうした誤審の積み重ねが、今回のパリ五輪にも最悪の形で引き継がれてしまったということになるようだ。

 パリ五輪でデイリー新潮は8月1日、「【柔道誤審問題】『日本人は礼儀を忘れた』 現地メディアが驚いたポイントと同情したシーン」の記事を配信し、男子60キロ級・永山竜樹の誤審を深掘りした。

求められる「審判改革」

 さらに8月6日には「柔道大国『フランス』の競技人口は『日本の4倍以上』 国際化したJUDOに募る“不満”…専門家は『チャレンジ制度の導入も検討すべき』」との記事を配信。バルセロナ五輪の銀メダリストでスポーツ社会学者の溝口紀子氏の「審判改革案」を紹介した。

 第1回【「阿部詩」に続いて兄「一二三」も号泣…柔道“誤審ラッシュ”で問われる「外国人審判のレベル」 1984年のロス五輪から「常に問題視されてきた」】では、改めてパリ五輪の誤審を振り返った上で、1984年のロス五輪でも外国人審判の技倆不足が指摘されていたことや、柔道着のカラー化も誤審問題が密接な関係があったことを詳しく報じている。

註1:<シドニー五輪>【柔道】男子100キロ超級 審判長も認めた“誤審”篠原「銀」(スポーツニッポン・2000年9月23日)

註2:[記者の目]篠原信一の銀メダルと「誤審」(毎日新聞2000年9月26日朝刊=運動部・滝口隆司記者の署名記事)

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。